気はどこにある

気は便利なものです。何しろ、何も道具が必要ない。元手はタダ。どこにでもある。
水や空気も汚染されている昨今、こんなもの、他にあるでしょうか?
治療では銀の鍼一本とわずかな量のもぐさを用いていますが、手元に何も無い時は手を我が鍼だと思って文字通り手当で相手に触れていることがあります。
鍼でも手でも扱うものは同じ。鍼を使うことでエネルギーを集約させたり、直接深い所へ気を入れたり出来るという違いはあります。

究極的には触れずとも、意識を送るだけで治療ができるはずだと思っています。
今でも心配な患者さんには遠く離れてイメージを読み取り、気を送ることを心がけています。
気を配る、気を離さない、こんなことが治療を離れても大事だったりします。
子育ての場合を取り上げてみましょう。子どもを育てるとき始めは密着して、次にあんよが出来てからは常に目を離さず、友達と公園で走り回るようになってからは気を離さず、もっと成長して手の届かないところでは心を離さず。。。子どもは親の触れる、見る、気にかけるエネルギーを貰って成長しているようなものです。エネルギーを与えられず育った子は、体こそは成長しても、心はどうでしょう、欲求不満だったり不安神経症だったり。何かが足りないと思わせるものがあります。子どもがいつも「見て!お母さん!!」と呼びかける秘密はそこにあるのではないでしょうか?
人が治る時はそれと似たものがあります。

ただ、その繋がりは意識していないと見えてこない。うつろいやすく、消えやすいものなのです。
人の体はその繋がりが強固になって一つの体になっています。
しかし、体の中だけでつながっているだけでは足りません。
外と交流して繋がっていることで補充されます。
自然の中に行くと元気になったり、大好きな人とおしゃべりして元気をもらったり、芸術をみて元気になったり、普段意識するにせよ無意識にせよ様々な交流を自然と行っています。

そうです、大抵は無意識なのです。
無意識というのは無防備です。無意識のまま与えられるものをそのまま受け入れていたら現代社会ではあっと言う間に気虚(気が足りない状態)になってしまうでしょう。
なぜなら、気を消耗させるものが大量に溢れているからです。
何が気を消耗させるかは次回以降に譲るとして、”気にかける”に戻りましょう。

気にかける、という意識はちょっとしたことですが結びつきを作ります。そのちょっとしたエネルギーをより集中させたエネルギーにかえていくことでもっと有効なものになります。
集中させたエネルギーというのは怒りのエネルギーがわかりやすいでしょう。
強い怒りを持つと、交感神経が興奮して心拍が上がり、血圧も血流も盛んになります。普段ならできない突飛な行動をしたり出来ます。この場合の怒りは上手く用いないと自分も他者も傷つけるエネルギーとなりますが、こういう負の感情を伴わないエネルギーを、理想的には真っ白なエネルギーを把握し集中するとうまくコントロールできるようになります。
エネルギーの回転数が遅いとぐらぐらしますが、密度が高く回転が上がるとその目標に真っ直ぐ向かっていく強いエネルギーになります。独楽を回すときのことをイメージしてみてください。回転が遅い独楽は軸がぐらつき回り続けることができません。良く回り続ける独楽は回転数が早いでしょう。
それらのエネルギーを主訴のあるところや、症状を起こす原因となる箇所へ送ります。
始めは何も感じないかもしれません。自分から何も出ていないと思うかもしれません。
始まりは、イメージすることです。自分の手からこういう風に出て、相手のどこへどんな風に届く、という風に具体的にイメージするとそのように段々感じてきます。
イメージや思考が気の調整にはとても関係してくるのです。

ここまで来ると、イメージや思考によって気が作り出されるという風に思われるかもしれません。
実際は逆で、そこにあるものに近づこうと感覚を総動員することで感じるようになるのです。
見えないものを見て見えない音を聞く。
それを感じるかどうかはその人の意識の幅が影響します。
こういうものだという思い込みが強いとそこまでしか感じられません。
感じるということは、相手と同じ波長に合わせ、それを共に響き合わせること。
すなわち共鳴です。
共鳴しはじめると、自分でブレーキをかけないかぎり、驚く程のパワーを持って自由に色々なところへ動き出すのです。
共鳴は、自分を限りなく開かせゆるませゼロにさせていくことで大きな響きとなります。

さて、本題の”気のあるところ”でしたが、すぐそこにある感覚、少しはイメージが湧きましたか?
実態としてわからないものです。扱ってみると徐々にそのベールがはがれてくるように、回り道をたどって気をおいかけてみました。
感覚から意識し、集中して高めて、それに共鳴する、こんなプロセスを辿りました。
少しでも見えない触れない聞こえない“気”の発見の一助になればよいのですが!
気の概念を生活に取り込むと全てが物質主義の現代に色々と疑念が湧いてくると思います。
さて、次回は今回の途中に出た気を消耗させるものという話にしましょう。

気のあるところ

自分の治療を説明する時「”気”を用いた治療をしています」とよく言います。気と言われて何のことかわからないという人は、この御時世さすがにいませんが、あやしい、うさんくさいという人は高齢者を中心としていらっしゃるようです。
いわゆるイマドキの人の方が、スピリチュアルブームの恩恵か目に見えない力の存在を理解している方は多く、すっと入って来れるようです。高齢の方、いわゆる団塊の世代は高度経済成長の物質至上主義、科学信奉が強く目に見えないものの動きを存在すると相手に説明するのは中々困難なことがあるようです。あるようです、、というのは私自身が説明する上で、そのような真っ向から拒否されるような場にあったことがないから。
こういうことは、患者さんがお知り合いにこの治療の説明をしようとしてよく遭遇することのようです。
患者さんは始めは半信半疑でも「よくなりゃ、なんでもいいや」という感じで始まり、実際に治っていくことで実感として理解して頂いている方がやはり多いのです。
その体験を言葉にしようとしするのは、自分で感じた言葉で説明する他なく、気の動く感覚を感じるならばまだしも、へたしたら治療中は寝ていて、起きたら治っていたくらいの話にしかならないようなものです。
痛みや辛さというのは基本的に無くなると忘れるものです。気の動きで痛みが消えた場合、痛みは幻だったかのごとくスーッと消えていきます。薬などで痛みを止めても局所や体全体の重だるさや不自由さは残るのと対象的です。これが、尚のこと言語化させにくいものにしているのはあるでしょう。
そこで、治療者が見えていること、やろうとしていることを明らかにしていくことで少しは気の世界共有できればと思っています。
気はどこにあるのか
気は何の影響をうけているのか
気を動かすにはどうしたら良いのか
等々、順繰りとゆるりと臨床での経験をもとに展開していければと思っております。

今のことぶき共同鍼灸院

毎週火曜日に行っていることぶき共同鍼灸院。
その貴重な週1回は、とても居心地の良いものです。
それはまさに”来てくれてありがとう〜”というスタッフの暖かい言葉や、雰囲気が気持ちを盛り上げてくれることに加え、現院長Nさんの見えない力が多いに働いているのです。
恥ずかしながら、いつも遅く出勤するのですが既にNさんは治療の人。
でも私の治療道具や治療ベッドは整えられ、いつでも患者さんを受け入れられるように用意され、待合室やトイレは既に掃除が済んでいる、、。私はそこで爪を切ったりカルテを見るだけで患者さんを待てば良く、終了後も「そのまま置いといて、置いといて」と片付けもせずに帰っていいよ、と。
しかも昼休みは私の仕事が終わるまでお昼を食べず、愚痴まで聞いてくれる。
まるで、つきあっている彼氏の実家に遊びにいった彼女な状態。いや、温泉宿に泊まった文豪な気分(嘘)。
そんな素晴らしい菩薩のようなNさんですが、もうかれこれ10年この鍼灸院を引っ張ってくださっている大大大ベテランです。
わたしがこの鍼灸院にたいして何が出来たって、一番良いことをしたと思っているのはNさんをスカウトしたことだと思っているのです。
患者さんにとっては、気取らず構えず話を聞いてもらえる、そしてしばしば笑いをもらえる暖かな存在で、その器の大きさがあるからこそ皆が安心して通える雰囲気を作り出しているのです。
治療は痛いところがあれば誰にでもスッと手をあててくれるような暖かさがあり、真摯そのもの。
人見知りの私から見ると、コミュニケーション能力の高さだけでも大変な大人です。

今の鍼灸院は場所が通りに面した明るい部屋へ移り、患者さんも私の時よりずっと増えて鍼灸師も2名態勢の日が2日程あるようになりました。患者さんは相変わらず多彩な顔ぶれで、私が治療するのはわずかですが彼らの弾丸トークを聞くのは結構な楽しみです。
人それぞれの人生は全く異なる体験ですが、その中で彼らがどんな選択をして生きて来たのか、話の中から知ることができます。若さによって失敗もし、若さによっていたずらに度が過ぎたり、でもある時々を迎えてすこしづつ変容して来たんだな、と。
個人的には今の治療院では出会えない体のタイプの治療ができるのも職業的魅力ではあります。
若い頃地方で育った人が多く、幼いころから農作業をしていた人などは体の骨格からそのエネルギーの強靭さが違います。自然の中で作られた体の力は、無茶苦茶ともいえる生活を送ってきても尚、衰えず治癒の力が素晴らしいのです。こればっかりは、ご両親やご先祖に感謝して欲しい、説教がましいことは言いたくないのですが、素晴らしい宝物を持って生まれて来たのだと。
対して、都会で育った今の若い人はかなり不利です。
胃腸が弱く、運動もしていないと体のリズムが掴みにくい。
体は健康ならば殆ど健康など意識せずに過ごせるものですから、地方で育った健康で頑健な男子達は若さを目一杯謳歌して生きて寿にきたのかなあ。

彼らを見ているとギリシャの時代を思いおこします。
ヒポクラテスとかプラトンとかいたあのギリシャの時代の教育は、少年期はもっぱら体育(舞踊をメインとした)ばかりだったと。知識を教えることは思春期になってからだったと。
体で学習することに重きを置いた、その為に彼らの記憶力は現代人と比べ物にならない程の力があったということです。(参考 シュタイナー教育の方法 高橋巌)
そして哲学者は今のように机に向かって本と格闘するものではなく、外に出て他者と議論をし、旅をして思索する歩く哲学者でした。
私の見ている患者さん達も様々な含蓄を持ち人生観を持ちました。ある意味哲学者だと思うのです。
そして記憶力も素晴らしい。
体を使って生き流浪して来た人々、ことぶきに久しぶりに行って考察してみたところです。

まだまだ火曜日に行くところ

だいぶ間が空いてしまいました。あれも書きたいこれもと思っているとまとまりがつかず、下書きに放置されて早ウン週間。楽しみにされていた方すみません。

鍼灸院を開設することを決めたのでまずは場所決め。診療所付属の鍼灸院ということで始めは診療所の一隅でベッドを置いて鍼を打つというイメージがあったのですが、届け出には待合室のスペース、診療室のスペース、採光や換気、消毒設備などがチェックされます。保健所が確認しに来るということで、まずは余っているビルの部屋の一室を借りて準備をすることになりました。
当時はビルの2階の1室を借りてはじまった診療所でしたが、患者さんが増えると共に2室かり3室かり、最終的には2階のフロア全てを借りている状態になっていました。(今は1階と2階の全フロアを借りています)
2階の一室というのは廊下を挟んで分厚い鉄の扉がある別戸のようなものでしたので、完全な個室でした。先生方は女の子がこんな場所で一人で鍼灸をするのに不安を抱かれたようです。
開業してからも何度か「何かあったら心配だ。」とお気持ちを話されることがあったのに、私は当時全く耳に入らず、ここで鍼灸をしたい。。。という一念のもとに動いていた気がします。
今、人の子の親となって思うと、なんと無茶をしたものか。度胸試しのようにやっていた節もありますが、当時はやっぱり鍼が自由に打てる嬉しさが勝っていたようです。
(そして保健所はいつになっても確認に来ませんでした。それは永遠の謎です。ちなみに他の2ヶ所で私は開設してますが、そこにはどちらも確認に来ています。)

患者さんは生活保護による医療保護で診療所のドクターから同意書をもらってくる人が主体でした。でも、経歴はまさに様々で、日雇い労働により体を壊した人、刑務所を出てからホームレスになり生保を貰っている人、全身入れ墨で過去の悪行を自慢げに大声で話す人、薬物中毒、アルコール中毒、精神病質で社会に適応出来ない人、ただただ人の良い真面目な人、などなど。書き上げれば切りがないほど、一人一人がくせ者ででもどこか人間臭い欠点と愛らしさがあって見放せない魅力を持った面々なのです。
さらには、そんな人を支える役所のCWや、街の中のスナックのママも患者さんでした。

当時の治療法は、今でこそ積聚治療という核になる見方を用いていますが、整骨院で覚えた筋骨格系に重点を置いた局所的鍼灸だけ。筋骨隆々の相手に気持ちよく一杯鍼を打っている毎日でした。が、もちろん場所が場所だけに、足を拭かないと治療が始められない、脱脂綿を使うと真っ黒になって何枚も必要だとか、往診に行った先では汚してしまった布団の洗濯から始まったり。。。そんなことは日常茶飯事。
そして、治療には生活指導もつきものですが、これが殆ど不可能なのです。冷房で冷やすのは良くない、とか胃の調子を上げる為に自炊しなさいとか、体の治癒力を上げるには不可欠なのですが、、。生活環境、経済状況、将来的希望で限界地点にいる患者さんに世間知らずの娘が要求するのでは響かないのです。相手に理解を求めるのは、あくまでも相手のハートに届く言葉を持っていることが必要だと、当時切に感じたものでした。

今こうして振り返ると、寿では治療技術を学ぶ先生はいませんでしたが、様々な問題を抱えた患者さんを取り巻く医療、社会システムの中で鍼灸治療をする意味と、人生の破綻をきたしている患者さんの心と繋がってどう立て直すかという治療家の本質に常に向き合わされる場所だったのです。

こんな未熟者に鍼灸院を開かせて下さった院長先生ご夫妻を始め、スタッフの協力があり、強面ながらも可愛い患者さん達に囲まれてなんと恵まれていたことでしょう。

一方で沢山失敗もしています。私が若くて苦労知らずで無神経だったお陰で、患者さんの心の痛みがわからず治療の翌日に自死した患者さんもいました。それ以外でも当時の多くの患者さんは年齢に関わらずお亡くなりになった方も多く、突然死や孤独死は場所柄とても多いのです。この人達とまた今度元気に会えるか分からない、そんな不安感、緊張感がいつでもある場所でした。
その他、患者さんの健康意識を高める為に鍼灸院で通信を出そうとしてあえなく2号でストップしたままにしました。これを寿のドヤ中に張ろうと意気込んで、ドヤの帳場さんに許可を求めて街中を走り回ったのも懐かしく、さらにそれを手伝ってくれたスタッフの優しさも忘れられません。

この通信、ひそかにずっと復活させたいと思い続けているのですが、、。
やすらぎ治療室とことぶき共同鍼灸院の共同復刊なら出来るのでは、、、とか。
はりねずみ通信と言います。これを見た人は覚えていてくださいね。
さて今回は長くなってしまいました。いよいよ次回はシリーズ最後で”今の鍼灸院”でいきますよ。

続 火曜日に行くところ

さて前回の続き。ちらほらと面白かったという暖かい声援を頂いたので勇気をもって先を進めたいと思います。
診療所に勤務を始めましたが、最初は受付兼医療事務と精神科デイケアのスタッフの仕事をローテーションで交互に入るという形をとっていました。そうです、この事務処理能力の全く欠ける私が受付に座っていて保険の点数をつけていたのですから、地球がひっくり返らなかったのが不思議なくらい、、いや相当な足を引っ張ったことは確実でしょう。それでも、この診療所では出来るだけ業務を共有して医療者もスタッフも同じ目線で情報が共有できるようにと考えられてそのようなシステムとなっていたようです。それは院長先生が交代された今も続き、一部のスタッフはそのようなローテーションを組んで勤務しています。
精神科のデイケアでは患者さんと一緒に買い出しをし、料理をしたり、園芸やお出かけなどのその日に予定されたスケジュールをサポートします。そのうち、デイケアで書道を教えてくれないかとのお声がかかり、書道を私が教え同時に美大出のスタッフが造形教室を始めることになりました。
デイケアでの書道はどうだったかというと、今にして思うとちょっと型にはまりすぎていたなと思います。当時は自分がお稽古で教わったようにしか教えることが出来ず、どうじても上手い下手で指導していました。ですが、自分の書きたい言葉だけを延々と書いておしまい、と言う患者さんや、下手だからと卑屈になって筆を取りたがらない患者さん、10人10色でした。ならばと大きい紙を用意して前衛を書かせようとしてみてもうまく誘導できず挫折。今なら直線、曲線からはじめてフォルメンで各人の持つリズムを感じてもらうことに重点を置き内面の調和という治療的効果を意識した方法を用いるでしょう。当時は引き出しがなかったと反省とともに思い返せます。それでも、筆と紙があれば出来るのが書道の強みで、お正月には書き初めがあるし、仮名を書いて見たりして、私が勤務している間はずっと受け持たせて頂きました。
そこからさらに同僚や街の支援者などに請われて書道を教え始め、夜間に第2の書道教室が生まれて今に至るのです。

そんな風に鍼から離れてしばらく過ごしていたのですが、ここでも優しい院長先生が「りつかちゃんがやりたかったら鍼をやってもいいんだよ。」との言葉を忘年会?か何かの飲み会の時に言われました。
私を横浜に導いてくれた友人の看護士はこの診療所で婦長として生き生きと働いていました。彼女も鍼灸師でしたので彼女となら出来るかも、、と思って二人で鍼灸院を開きたいとお願いすることになったのです。
さて、はじめての鍼灸院の開設は、、どうなったのか、続きはまた今度。

火曜日に行くところ

6月から火曜日を休診にして別の鍼灸院に治療に出ています。
ことぶき共同鍼灸院。第一子の娘の育休に入るまで勤務していました。
今日はここの鍼灸院のある 寿町について少し。
寿町は横浜は石川町駅が最寄りになりますが、中華街や元町に行く人々も多く訪れる駅でご存知の方も多いのではないでしょうか。
寿は中華街とは反対側に歩いてすぐの一画にある寄せ場です。
寄せ場というのは東京は山谷、大阪では釜ヶ崎あいりん地区などのような日雇い労働者やホームレスが多く集まり、一泊2000円?くらいで泊まれるドヤ街が立ち並ぶ地域です。
昔は日雇いの集まる場所だけあって酔っぱらいやヤク中ややくざやら昼間から色々立ち入り乱れる吹きだまりなようなハチャメチャな街でしたが、今は日雇いの仕事が激減したことと住人の高齢化が進んだことにより老人、病人、刑務所を出所したばかりの人などの社会的弱者の集まる街となっています。
この街に鍼灸学校の学生の頃、クラスメートの看護士の友人に誘われてボランテイアに通っていました。
鍼灸学校の学生に何ができる訳でも無かったのですが、医療相談で血圧を測ったり尿検査をしたり、明らかに問題のある人には医師や看護士に引き継いでスクリーニング的な役割を果たし、他は世間話をしていました。
当時は18歳で怖いものもなく、ホームレスと話がしてみたかったというだけの動機で、他の様々な分野の学生(医学部の学生、医師、看護師、歯科医、社会福祉士を目指す学生など)と出会い話を聞くだけでも充分楽しんでいたように思います。
この街にボランテイアで来る様な医師は特に人間的にも素晴らしく、医療に対する真摯な姿勢に学ぶところが多かったものです。
まだ日雇いの仕事をしている人も多く、焚き火をして野宿したり酔っぱらって喧嘩をしたり、賭け事をして盛り上がったりしている場所もあり、気さくに話かけてくるおじちゃんがいたりと活気の残る時期でした。
私が参加させてもらった寿医療班ですが、寿に診療所をつくりたいと、その為に40過ぎて医師になった人がいました。その人が目的を成就してつくったのがことぶき共同診療所です。
診療所が出来て何年か経ったのち、私が手を壊し整骨院を辞めていた頃に声をかけてくださったのがその先生でした。
ことぶき共同診療所ではまた色々な経験を積ませて頂いたのですが、、、
続きは長くなったのでまた今度。

無意識が運ぶ体

体は無意識に働いています。
心臓を動かすのにいちいち意識せずとも働いてくれているのです。
呼吸もいつのまにかしていますし、
皮膚も共に呼吸し、老廃物を排泄し、常に新しい皮膚に生まれ変わってくれています。
どんな人の体も片時も休まず働き続ける正直な働きものです。
そうです、持ち主の性格や行いに関わらず体程正直な存在はいないのです。
問診で聞く患者さんの言葉も大切ですが、体は語らずとも雄弁にすべてをモノ語ります。

表層の意識で生活する私たちは自分のことは自分でコントロール出来ると思いがちですが、体は表層意識で動いているものではないのでそこにギャップが生まれます。
いつ間にか衰えていく体、突然痛くなる体、病。
無意識的な存在の自分と表層意識の自分が遠ければ遠い程、体と自分の距離が生まれます。
体はどんな時も無意識の自分が生み出すものであり無意識の自分が働かせるものだからです。
意識の届かない自分が生きる意思を持って心臓を動かし呼吸をしています。
その反対側で、やりたくないことを我慢してやっている無意識の自分が体にブレーキをかけて
胃を痛くしたり怪我をしたりしています。
無意識の世界の自分は正直です。ですが、無意識の自分が本当は何を望みどのように感じているか完全に把握し言葉にできる人はいないでしょう。
ただ体は語っているのです。
体はその人の無意識の歴史の実在ですので、本人よりもはるかに雄弁です。
ただその声はとてもとても小さな声で、耳をすまし、全身全霊で聞く姿勢を持たないと話してくれません。
私は、そんな体の声を拾い上げて、聞こえる様な声にして患者さんに語る役割と、体と魂が喜ぶ声になるように患者さんとともに取り組むのが生業ですが、10人10色の体の個性に出会うのが本当に楽しいのです。

体は人間に残された最高の自然で、話をよく聞けば実に素直な理解者でもあります。
体を治す旅は、自分のこれまでの無意識下にあった感情や欲求を知る旅です。
自分に見えないものを見る勇気、すべての原因を自分のうちに認める潔さ、きっと色々なものと向き合うことになるでしょう。でも、それは自分の魂の成長のきっかけにもなり、霊的な好奇心をくすぐる刺激的なものとなるでしょう。

足について

体の緊張のレベルが一見してわかる場所があります。”足”です。足といっても足首から先の足です。
体のエネルギーは足を使って出て行きます。足がきちんと使えてないと邪気が出ていけず体に滞り、下半身の張りやむくみ、婦人科疾患、ひいては上半身にも頭痛や肩こりなどの症状となって出てきます。体はなんとしても負担となるものを出してしまおうとする働きをするのです。
緊張した足はまず足趾に力が入って反り返ったりしています。
体重の掛け方が親指メインで外踝と内踝の動きに差があります。
足裏のアーチが張っています。
外踝が腫れていたりします。
足裏が赤くむくんでいたりします。
手のひらには掌(たなごころ)と呼ばれる気を出すポイントがありますが、足裏にも似た様な足の掌があると思われます。ツボで言いますと足裏の中央部にある”湧泉”ですがもう少し踵よりにあるような気がしています。
この足裏の掌を意識してみると体軸がすっと通り頭の中心部松果体とつながる感覚があります。
この足と頭が繋がっている感覚がとても大事です。
ともすれば頭が熱でつかえていたり、首がねじれていたり、お腹が冷えていたりで、つながりは分断されてしまいますが、本来はつながっているものです。

日本古来の舞踊や能、武道などは全て擦り足という足全体を床に押し付けて歩く様な歩き方を基本としますが、これは下半身を安定させて天と地の気の結びつきを強める非常にエネルギーの流れを大事にした歩き方です。現代はヒールなどで足を固定してしまい、足としての役割を果たせなくなっている足を持った女性が大勢います。人が自然との結びつきを軽視する程にファッションも反映して地から離れるのでしょうか。すり足をすることで足はひらべったく横に広がります。幅の細い足が美しいとされる現代の女性には敬遠されそうなすり足ですが、日本人はみなすり足を基本の動きとする芸事をやれば健康度がアップしそうなものだと常々思います。そしてすり足を見事に使いこなす人々の足の美しさ。力がぬけて爪や足先の血色も大変良い足を持っています。

普段すり足が出来ない人には土の上を散歩することをおすすめします。土は邪気を吸収する力を持ち、クッション性のある凹凸が頭の深い場所を足から刺激します。無意識のレベルを揺さぶるのです。ぽったらぽったら歩いては行けません。踵からしっかり土踏まずを引き延ばすようにゆっくりでも足をしっかりと運んでください。足が緩んでくることと体が緩んでくることは同じことです。普段どんな靴でどういう歩き方をしているか今一度確認してみると良いでしょう。足裏をしっかり使って左右のバランスを真っ直ぐに。始めはぐらぐらしていても意識していると出来るようになります。足がしっかり働けるとなんとも効率の良い体になるものです。

次回は無意識という言葉が出て来たので、”無意識が運ぶ体”です。

フォルメンの魅力2

フォルメンは様々なアプローチで体験することが出来ます。
動きで体験するのはシュタイナーの考案したオイリュトミーです。
日本の植芝盛平が生み出した合気道もフォルメンの動きを体験しています。
合気道をしていると延々と円の途切れない流れの一部となったような気がしてくるのです。
どちらにも共通しているのは体を開き相手との調和(気の流れ)を感じて動くという点です。
おそらく円や螺旋といった曲線運動はエネルギーを育み増幅させる力がある命の動きなのではないでしょうか。
書道もフォルメンの一種と言えます。古代文字は形から作り出され、フォルメンそのものでした。
そこにリズムとデザインが加わり、東洋独自の紙、墨、筆で独自の美を開拓していきます。
刺繍や編み物はまさにフォルメンです。ステッチの規則性の美しさ。糸の動きはレム二スカートの八の字を思い起こします。昔の人は生活の中に宇宙の規則性、法則性を読み取り見事に表現していたのだと思わずにはいられません。
古代の建築物や石像などには繊細な細工が施され芸術としてのフォルメンが生きています。
他にも美しい動きの中にはいくらでも読み取れるのでしょう。

鍛えられた規則性や形になぜこんなに人は揺さぶられるのでしょう。
それは私たちの内面から湧き出る喜びなのです。
形が円満で調和が取れていること。
それが最高のエネルギーバランスであり私たちが目指すものであるからでしょうか。

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フォルメン 線描芸術の魅力

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今日はフォルメンをご紹介します。
シュタイナーは人間の認識の道の始まりはまず”形”から入ると言います。
形の認識から世界と自分が結びついていくのだと。
形なくしてこの世界はありえません。
そして、エネルギーや動きも形の軌跡を造っています。
シュタイナーは教育はフォルメンから始めるとしていますが
フォルメンは治療としても用いることが出来ます。
単純な線から始まり、だんだんと組み合わさって複雑な動きを追うのは集中力と意思を要します。真っ直ぐな直線をフリーハンドで描くのが難しいように円や曲線もまたバランスをもって
本来の柔らかさを表現するのは非常に労するものです。
しかし、これらのリズムと調和をだんだんと獲得していくことが、自らの調和とリズムを整えることにつながり、その調和とリズムの一致が魂と体の結びつきを強めることに他ならないことなのです。

写真はルドルフクッツリ著フォルメンより