鬱の在り方

そろそろ学校や会社の新学期、新体制の疲れが出てくる頃ですね。今日は五月病と絡めて鬱について考察してみます。
鬱症状というのがありますが、一般的には心の風邪というキャッチフレーズがあるように心が疲れたから鬱になると考えられているようです。
長らく体を見てくると心と体の相関関係は見事なハーモニーで揺れ動いており、体から心も変わるし、その逆もまた然りであることがよくわかります。
ただし心のみを扱うとどうしても難しいのは、心は常に揺れ動いており、言葉は簡単に嘘や受け取り方によって、関係性に誤解が生じることが当たり前にあるということです。
鍼灸において心の問題を扱うことを目指して鍼灸師になりましたが、体からみる分野で正解だったと思います。患者さんとの言葉の交流は重要と認識しておりますが、体は嘘をつかない。体に従って判断することの重要性は、患者さんも施術者側も共に認識すべき第一歩になるのです。

その上で鬱となる方の症状を見ていると、とにかく滞りを作りやすい。文字通りエネルギーが欝々と引っ掛かりを作るのです。引っ掛かりというのはエネルギーの鬱滞で、筋肉や関節が凝縮したような塊になることもあります。上から見ていくと、側頭部の緊張、後頭部の熱、顎関節のつまり、椎骨のずれ、頸椎の無力、胸椎腰椎のつまり、そのほか諸々それらをあの手このてで流していくことに努めれば、鬱にはなりません。

そう、鬱は気が鬱滞した状態です。エネルギーが低下しているのは部分的なもので、むしろ我が強まり、本来の自分とは違う状況への言葉にならない不満や怒り、自己表現が出来なう鬱屈、失望などが体内で鬱積した状況にあります。元気は体内のどこかに蓄積しているので、それらを無いものとして見ていると悪化します。
元気の元を素直に引き出せるように、導く手段が必要なだけです。
素直、というのが難しいことかもしれません。でも、体が緩んで気が回るようになると、人は皆素直になります。患者さんもいうことを聞いてくださいます。言葉だけの素直は強要できませんが、体の語りかけと共に、一緒に緩むことが真の素直の表現です。
本当の願いはどこにあるのか、ですね。仕事ができる人ほど、完璧にやれると思っている人ほど、自負心は強く、自分への期待も高いものです。
元々、張り詰めたそのようなプライドこそ既に鬱滞を作る源となります。
人にイライラしたり怒りや不満を感じることと、自分への不満はほぼ同時に生じます。それが意識下か無意識下の違いはあれど、そこに執着を作らずにただただ流していくか受け入れて許すか。これは性格の問題ではなく、体の緩みの問題なのです。
なるようにならない自分を責める前に、身体に手を当ててみると気付くことが多いでしょう。