ここのところ、昔のカルテの整理をしています。
一度きりのご縁で名前を見ても思い出せない方も、何度も通って下さって力およばずだった方も、お亡くなりになった方もいらっしゃいます。
半分以上は今の力量ならもっと良くなっていたであろう症例で、当時の自分の未熟さを痛感しながら、でもその時は一番意識の届くレベルがそのレベルであり、当時の自分にできる精一杯の治療でした。
またその半分は、私の思いやりがもう少しあれば、もっと心が通じて何かできたかもしれない出会いもあり、人間的な度量の狭さに省みることが多いのです。
亡くなられた方のカルテは、やはり後悔が残ります。精一杯治療を受けてくださって、全てを受け入れて亡くなられた方も、体に警告のサインがあったのに遠慮して強く伝えきれずに突然亡くなられた方も、どんな場合もやはり後悔があります。
今、通われている方に対しては、毎回何某かの機会が与えられますが、離れてしまうと何もできない。当時は、一期一会だと思って一回一回の治療にかけていたなあとよく思い出されます。
今も一回の治療に最大限の効果を出すために、今できる治療が最高のタイミングと思ってやっていますが、これらの山のような悔いが土台となっていることは痛切に感じます。
未熟な自分のために時間を割いてきてくださった方がいたということは、希望と感謝と贖罪のないまぜの気持ちで、これらのカルテを生かし続けなければと思うのです。