腕はさておき、割と長く鍼灸をやってきた部類に入りつつある歳になるが、一番恐ろしいのは初心を忘れることだ。
いろいろな進路を差し置いてわざわざ年寄りが好まれるこの燻銀の世界に飛び込んだのか、それなりの犠牲を払っての選択ではある。
鍼灸師は何の保証もなく、社会的地位なんてないに等しい。それだけに、必要とされるのは治るか治らないか、の勝負だけであとは全くもって自由なご身分だ。
しかし、治るか治らないかの背景には様々な準備が必要とされる。とにかく臨床をこなして症例を多く見る、それらについて知識を身につけ、尚且つ治る方法を探す。(ここでのポイントは知識は治してくれないということ。)治る方法はまさに10人10色で正解がない。なので、病名を言われて治りますか?どれくらい通えば治りますか?という質問には微妙な思いを抱く。
たまたまかかった病院で名付けられた病名で右往左往する人もいるし、病名の背景にもっと深刻な状態が潜んでいる場合もある。症状だけ取り除いてもシステムが治ってなければ繰り返すので、それは治ったことにならないし、治り方もその人の生活の仕方や、体の力そのものに大きく影響を受けるので人と同じ道は無いものと思ってもらいたい。
それでも人は自分の体が世界共通と思いがちで、(病院ではまさ病名イコール治療法でシステム化されているから?)病気になるまでに何十年とかけたものを一朝一夕で治るものだと思う人が未だに多い。
病気を治したかったら、初心に返って、全てを見直すことをおすすめする。今のあなたの生活が今のあなたを作ってきたものだから、全ての要因が原因である。食事や環境、仕事、性格、言動、生まれ持った体質(カルマ)、出産時のトラウマなどの無意識層、とんでもなく広範囲に及ぶがこれら全てが絡み合って作ったのが今のあなたである。でも、その探究の旅は面白いことを保証する。今の状況はあなたには辛いだろうが、自分を知る旅は荷物を一つづつ下ろすようで、もしくは背負う場合もあるが、気楽にハッピーに、小さい頃の自分を思い出し、自己を肯定するきっかけになるはずであるから。
鍼灸の仕事でそこまで深く人と関われると思わなかったが、そんな旅にたまに同行させてもらっている。治らない時は辛いが、患者さんが受容し、ひと時でも楽な時間を作るのも鍼灸の仕事であるから、それも含めての治療の旅はおつなものである。もちろん深刻な病が治る時は、全てがうまく噛み合って大きなギフトをもらうような安堵がある。
私の初心は精神科の病を第3の方法で治したいという思いだった。それなりの手応えと、鍼灸でできることの範囲も見えてきてはいるが、物事をはじめる時は理想は高ければ高いほど良いというのが今振り返って思うこと。自ずと出会いと機会が与えられてやってこれた。当時ほどの情熱は無いが、静かにその約束と繋がっている感覚はある。