桜も終わり新緑がまぶしい季節ですね。
今日は治癒に不可欠な認知の力にふれてみたいと思います。
皮膚感覚相手に治療すると様々な感覚の相違に出会います。
痛いはずが痛くなく、冷たいはずが火照っている。
病んでいる場所は感覚も同時に病んでいます。
皮膚感覚は反応が良ければ良い程、治癒が早く、反応が鈍い程に治癒が遅いという関係にあります。
代謝の落ちた筋や皮膚は鈍く触れても反応を感じません。老人と子どもの反応の速さをイメージしてください。車が後ろにいても気づかずに前を歩いている老人を見たことはありませんか?音も聞こえていませんが、背中の感覚を全く使えてないので気配を察知しないのです。周囲の世界と隔絶した中で生きている様な状況です。
体の老化とは体内の代謝酵素の減少であり、筋肉が減るとか、姿勢が悪いからというものではありません。筋肉の細胞の代謝に関わる酵素の量、皮膚も、内臓も全てに於いて言えることです。
治療の際には筋肉をつけるのでは無く、質の良い筋肉を持つことが大事だとお話しますが、筋肉は生活に必要な量が維持されるものです。一時の筋トレに夢中になっても、日常で使われない筋肉は落ちます。もちろん、普段から歩いたりストレッチすることで維持される筋肉はあるので、そういった取り組みは大事です。でも、筋肉の質が固く冷えたものであると体のトラブルは免れません。怪我をしたり、あっちが痛いこっちが痛いという結果を招くでしょう。
この質のよい筋肉こそ、代謝酵素のアップした筋肉であり、反応が早く鋭敏な体をつくるものになるのです。
ここでは分かりやすく筋肉を例にしていますが、皮膚も同様に考えられます。
皮膚は機能としては神経感覚経であり、排泄、保温、知覚様々な役割を担う一大器官です。この皮膚感覚が落ちている状態は、これらの機能が一様に機能低下状態にあるといえ、体の内部をのぞく指標となるものです。
皮膚の上に鍼をたて、気を通して行くという作業は常にからだの極一点に意識を集中し、一点と全体をつなげる作業を繰り返していることになります。一点を認識するのは脳の認知であり、その為に患者も術者も意識を集中させます。エネルギー体としての動く皮膚が、流入してくるエネルギーに反応するのは皮膚だけの働きによるものではないでしょう。感知し、感覚を開き、温まり、汗をかく、そのような自律的な変化を起こすのは体全体の律動運動です。
皮膚の感覚が落ちている時は鍼が触れていることを感知することができません。それを情報として運んでいけないと、必然的にあとに起きて来る注意の集中、血流の集中、の動きが全てにおいて遅く鈍いものとなるのです。
鈍さは全ての冷えによって生じる現象ですが、代謝があがると感覚が戻ってきます。
今まで痛くなかった場所が押されていたく感じたり、違和感として感じたり、認識されるようになるのです。
さしずめ、世界が広がるとでも言いましょうか。
認知の世界が広がるのです。
そうしてくると、治療で何をしようとしているのか自ずとわかるようになるでしょう。
感覚の広がりは体と治療に関するだけではありません。自分を取り巻く世界の全てに感覚が広がるのです。
固く冷えて積を一杯抱えた体が、感覚が広がることで体そのものが開いてくるのです。
積は”我”であるといわれますが、体が温まり開いてくると、積が取れてきます。
世界と自分をつなげること。
治療はそれに尽きるのでしょう。