前回の延長線上の話になる。
治療の都度、一番深く見えるものを目指して治療しているが、結果として毎回治療効果がかわるのは
なぜか。それは私が持っている意識の波長、患者さんの波長が体調や気分、天候を含め、回を重ねるごとに変化していることが上げられる。
物質としての人体は基本同じである為に、痛みや不快感などの物質体由来の治療結果は毎回安定して答えを導きだすことができる。でも、心理面から強く影響を受けている不調は意識状態に強く影響を受けるため、術者の出す気の性質というものによくよく注意しなければならない。
さらには、治療後の目覚めともいうべき気付きにいたっては(なぜ自分がこのようになったのか、もっとこうしたら良いというヒントを見つけるなど)、相手のエネルギーのどこに光を当てるかによって大分かわる。
そうやって、毎回毎回患者さんを見続け、気の動きを追いかけていると、まことに気というものは様々種類があり、深さがあり多層構造になっているものだと感じる。
深ければ良いという訳でもなく、そのヒトがどこに不調を抱えているかというのは浅いレベルにゆがみをもったエネルギーを背負っているときもあるし(そういう場合は周囲のヒトや環境に寄るものが多い)、椎骨のどこかに停滞したエネルギーを抱え込んでいる場合もあり(長年に渡る深い冷えは骨まで入る)、エネルギーの落ちた食べ物を食べたことで胃そのものがエネルギーの重い状態に停滞いている場合もある。
胸郭の緊張しきった呼吸の浅い患者さんには肋間筋のレベルで気を流して行くと動き出すし、下半身が重だるく浮腫んでいるような時には骨盤内の内臓系の気を良く動かしていくことが必要だ。
いずれも、まっさらな状態でよくよく気を追いかけて見ていると動いてないと思っていても気づいてないだけで全く新しいレベルで気が流れていることが多々ある。
気づかないということは恐ろしい。
自分が把握していないだけで、エネルギーは確実に作用しているのに無いことにしてしまう。
”動かない”という想念が動きを止めてしまう。
気が基本的に最も必要なところに流れて行く。
だからこそ、とらわれることなく大きい視点から気を追うことが大事であって、その気の動きに気づいて同調することがその流れをより大きく育むことになる。
気の流れていない場所は、使われていない場所、意識が入ってない場所であるだけに、あらたなレベルに気が入ると相手の意識レベルに確実に広がりが出る。
だから治療後は気持ちが大きく明るく、様々な気づきが得られるきっかけとなるのである。