見たいものを意思する

今日は治療にも普段の生活にもひいては人生にも大きく影響していることを。
鍼灸の仕事を始めて13年程になります。
積聚治療を専門にしてからは8年程でしょうか。
積聚は”意識の治療”です。
意識がどんな状態であるか、どんな意識を送るか、全てが影響します。
自分自身の状態をよく把握し、日々の治療にムラがないように、深い冷えを見極める集中力を、、、、自分に要求することはいくらでもあります。
でも、これらを台無しにしてしまうことがあります。
相手への信頼です。
治療で体に動いてもらうには、まず繋がりが必要です。
異質なものとして見ていてはつながりません。
自分が患者さん自身であるかのように同化することが大事です。
同化というと語弊があるかもしれませんが、治療者と患者さんは同じオーラの中にいるのです。

まずは自分の波長がどの程度の変化を起こせるかをよくよく観察します。
相手の冷えにどんな変化を及ぼしているかを、必ず変化がある前提で観察し続けるのです。
自分の存在が必ず相手に影響を与えているという意識の在り方は非常に重要です。
鍼を持っただけで、鍼先を相手に向けただけで、体は緊張したりします。
見えてなくても体は感じています。
治療者は何に向けて鍼をあてるのでしょう。
今日の主訴に向けて?体の根源の冷えに向けて?腹部の積に向けて?
どれでもよいのです。でも、浅すぎる意識は浅いところにとどまり、深い意識は骨や内臓をも動かします。
どうやって浅深見極めるのか。
それ以上行かないと思えば浅くなり、深いところまで行くと思えば深くなるのです。
そんなバカなとおもわれるかもしれませんが、これは全て実践に基づいて書いています。
浅くしか入らないと思っている時は、自分が呼吸を止めて、緊張させてわざわざ流れを止めています。深く入る時は、自分も一緒に相手の脊髄脳髄まで入り込む様な柔軟さでどこまでもついていきます。この場合の”自分”は治療者も患者さんもどちらでも置き換えることがありえます。
どちらがブロックをかけてもそれ以上は入れないものがあるのです。
深い共鳴が起きるとき、これは受けた人が一番わかるでしょう。
骨格が動き、内臓が持ち上がり、冷えが動くので汗が噴き出します。
治療で耕された体には深く深くエネルギーが入るようになるので、こうして根本的な冷えを動かして健康を常に維持することが可能になるのです。

いつもいつも、自分は今一番深いものを見ていると思ってやってきましたが、決してそうではありませんでした。でも、初心者には初心者の必死さが、純粋さが、迷いの無いエネルギーとなって回復させていたのだと思います。
今は、だんだんと段階を経て階段を降りて来た感がありますが、こんな時こそ、どこにむけて治療しているのか、という意識を明確にせねばならないのだと強く肝に銘じています。
さまざまなレベルを選択できるようになって来た今、目指すものは何なのか?
より早く、深く繋がるレベルとはどんな状態なのか?
細かいものに惑わされずに、本質に深く迫る意思が重要になってくるようです。
今日はほとんど自分に言い聞かせているような日記調となりましたが、”つながる”という面においてはテクニックは全く同じです。
コミュニケーションでも、息を止めて、力を入れていたら相手が入って来れず、何を見たいか意思することによって人間関係が変わります。

こんなやり方、ちょっと参考になれば。