気はどこにある

気は便利なものです。何しろ、何も道具が必要ない。元手はタダ。どこにでもある。
水や空気も汚染されている昨今、こんなもの、他にあるでしょうか?
治療では銀の鍼一本とわずかな量のもぐさを用いていますが、手元に何も無い時は手を我が鍼だと思って文字通り手当で相手に触れていることがあります。
鍼でも手でも扱うものは同じ。鍼を使うことでエネルギーを集約させたり、直接深い所へ気を入れたり出来るという違いはあります。

究極的には触れずとも、意識を送るだけで治療ができるはずだと思っています。
今でも心配な患者さんには遠く離れてイメージを読み取り、気を送ることを心がけています。
気を配る、気を離さない、こんなことが治療を離れても大事だったりします。
子育ての場合を取り上げてみましょう。子どもを育てるとき始めは密着して、次にあんよが出来てからは常に目を離さず、友達と公園で走り回るようになってからは気を離さず、もっと成長して手の届かないところでは心を離さず。。。子どもは親の触れる、見る、気にかけるエネルギーを貰って成長しているようなものです。エネルギーを与えられず育った子は、体こそは成長しても、心はどうでしょう、欲求不満だったり不安神経症だったり。何かが足りないと思わせるものがあります。子どもがいつも「見て!お母さん!!」と呼びかける秘密はそこにあるのではないでしょうか?
人が治る時はそれと似たものがあります。

ただ、その繋がりは意識していないと見えてこない。うつろいやすく、消えやすいものなのです。
人の体はその繋がりが強固になって一つの体になっています。
しかし、体の中だけでつながっているだけでは足りません。
外と交流して繋がっていることで補充されます。
自然の中に行くと元気になったり、大好きな人とおしゃべりして元気をもらったり、芸術をみて元気になったり、普段意識するにせよ無意識にせよ様々な交流を自然と行っています。

そうです、大抵は無意識なのです。
無意識というのは無防備です。無意識のまま与えられるものをそのまま受け入れていたら現代社会ではあっと言う間に気虚(気が足りない状態)になってしまうでしょう。
なぜなら、気を消耗させるものが大量に溢れているからです。
何が気を消耗させるかは次回以降に譲るとして、”気にかける”に戻りましょう。

気にかける、という意識はちょっとしたことですが結びつきを作ります。そのちょっとしたエネルギーをより集中させたエネルギーにかえていくことでもっと有効なものになります。
集中させたエネルギーというのは怒りのエネルギーがわかりやすいでしょう。
強い怒りを持つと、交感神経が興奮して心拍が上がり、血圧も血流も盛んになります。普段ならできない突飛な行動をしたり出来ます。この場合の怒りは上手く用いないと自分も他者も傷つけるエネルギーとなりますが、こういう負の感情を伴わないエネルギーを、理想的には真っ白なエネルギーを把握し集中するとうまくコントロールできるようになります。
エネルギーの回転数が遅いとぐらぐらしますが、密度が高く回転が上がるとその目標に真っ直ぐ向かっていく強いエネルギーになります。独楽を回すときのことをイメージしてみてください。回転が遅い独楽は軸がぐらつき回り続けることができません。良く回り続ける独楽は回転数が早いでしょう。
それらのエネルギーを主訴のあるところや、症状を起こす原因となる箇所へ送ります。
始めは何も感じないかもしれません。自分から何も出ていないと思うかもしれません。
始まりは、イメージすることです。自分の手からこういう風に出て、相手のどこへどんな風に届く、という風に具体的にイメージするとそのように段々感じてきます。
イメージや思考が気の調整にはとても関係してくるのです。

ここまで来ると、イメージや思考によって気が作り出されるという風に思われるかもしれません。
実際は逆で、そこにあるものに近づこうと感覚を総動員することで感じるようになるのです。
見えないものを見て見えない音を聞く。
それを感じるかどうかはその人の意識の幅が影響します。
こういうものだという思い込みが強いとそこまでしか感じられません。
感じるということは、相手と同じ波長に合わせ、それを共に響き合わせること。
すなわち共鳴です。
共鳴しはじめると、自分でブレーキをかけないかぎり、驚く程のパワーを持って自由に色々なところへ動き出すのです。
共鳴は、自分を限りなく開かせゆるませゼロにさせていくことで大きな響きとなります。

さて、本題の”気のあるところ”でしたが、すぐそこにある感覚、少しはイメージが湧きましたか?
実態としてわからないものです。扱ってみると徐々にそのベールがはがれてくるように、回り道をたどって気をおいかけてみました。
感覚から意識し、集中して高めて、それに共鳴する、こんなプロセスを辿りました。
少しでも見えない触れない聞こえない“気”の発見の一助になればよいのですが!
気の概念を生活に取り込むと全てが物質主義の現代に色々と疑念が湧いてくると思います。
さて、次回は今回の途中に出た気を消耗させるものという話にしましょう。