自分の治療を説明する時「”気”を用いた治療をしています」とよく言います。気と言われて何のことかわからないという人は、この御時世さすがにいませんが、あやしい、うさんくさいという人は高齢者を中心としていらっしゃるようです。
いわゆるイマドキの人の方が、スピリチュアルブームの恩恵か目に見えない力の存在を理解している方は多く、すっと入って来れるようです。高齢の方、いわゆる団塊の世代は高度経済成長の物質至上主義、科学信奉が強く目に見えないものの動きを存在すると相手に説明するのは中々困難なことがあるようです。あるようです、、というのは私自身が説明する上で、そのような真っ向から拒否されるような場にあったことがないから。
こういうことは、患者さんがお知り合いにこの治療の説明をしようとしてよく遭遇することのようです。
患者さんは始めは半信半疑でも「よくなりゃ、なんでもいいや」という感じで始まり、実際に治っていくことで実感として理解して頂いている方がやはり多いのです。
その体験を言葉にしようとしするのは、自分で感じた言葉で説明する他なく、気の動く感覚を感じるならばまだしも、へたしたら治療中は寝ていて、起きたら治っていたくらいの話にしかならないようなものです。
痛みや辛さというのは基本的に無くなると忘れるものです。気の動きで痛みが消えた場合、痛みは幻だったかのごとくスーッと消えていきます。薬などで痛みを止めても局所や体全体の重だるさや不自由さは残るのと対象的です。これが、尚のこと言語化させにくいものにしているのはあるでしょう。
そこで、治療者が見えていること、やろうとしていることを明らかにしていくことで少しは気の世界共有できればと思っています。
気はどこにあるのか
気は何の影響をうけているのか
気を動かすにはどうしたら良いのか
等々、順繰りとゆるりと臨床での経験をもとに展開していければと思っております。