さて前回の続き。ちらほらと面白かったという暖かい声援を頂いたので勇気をもって先を進めたいと思います。
診療所に勤務を始めましたが、最初は受付兼医療事務と精神科デイケアのスタッフの仕事をローテーションで交互に入るという形をとっていました。そうです、この事務処理能力の全く欠ける私が受付に座っていて保険の点数をつけていたのですから、地球がひっくり返らなかったのが不思議なくらい、、いや相当な足を引っ張ったことは確実でしょう。それでも、この診療所では出来るだけ業務を共有して医療者もスタッフも同じ目線で情報が共有できるようにと考えられてそのようなシステムとなっていたようです。それは院長先生が交代された今も続き、一部のスタッフはそのようなローテーションを組んで勤務しています。
精神科のデイケアでは患者さんと一緒に買い出しをし、料理をしたり、園芸やお出かけなどのその日に予定されたスケジュールをサポートします。そのうち、デイケアで書道を教えてくれないかとのお声がかかり、書道を私が教え同時に美大出のスタッフが造形教室を始めることになりました。
デイケアでの書道はどうだったかというと、今にして思うとちょっと型にはまりすぎていたなと思います。当時は自分がお稽古で教わったようにしか教えることが出来ず、どうじても上手い下手で指導していました。ですが、自分の書きたい言葉だけを延々と書いておしまい、と言う患者さんや、下手だからと卑屈になって筆を取りたがらない患者さん、10人10色でした。ならばと大きい紙を用意して前衛を書かせようとしてみてもうまく誘導できず挫折。今なら直線、曲線からはじめてフォルメンで各人の持つリズムを感じてもらうことに重点を置き内面の調和という治療的効果を意識した方法を用いるでしょう。当時は引き出しがなかったと反省とともに思い返せます。それでも、筆と紙があれば出来るのが書道の強みで、お正月には書き初めがあるし、仮名を書いて見たりして、私が勤務している間はずっと受け持たせて頂きました。
そこからさらに同僚や街の支援者などに請われて書道を教え始め、夜間に第2の書道教室が生まれて今に至るのです。
そんな風に鍼から離れてしばらく過ごしていたのですが、ここでも優しい院長先生が「りつかちゃんがやりたかったら鍼をやってもいいんだよ。」との言葉を忘年会?か何かの飲み会の時に言われました。
私を横浜に導いてくれた友人の看護士はこの診療所で婦長として生き生きと働いていました。彼女も鍼灸師でしたので彼女となら出来るかも、、と思って二人で鍼灸院を開きたいとお願いすることになったのです。
さて、はじめての鍼灸院の開設は、、どうなったのか、続きはまた今度。