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ダウン症について

ダウン症といわれる子供達を診療する機会があります。
始めは横になることはもちろん、じっとできないで動き回る子を相手にどう治療したものか考えあぐねていました。でも、横にならないと治療出来ないということは全くないので何か方法が見つかるはずだと思っていたのです。そもそもこども相手の治療はスピードとリズムが命ですので、ダウン症児に限った問題ではないこともありました。
その中の一人の子は治療を重ねてもうすぐ一年経とうとしていますが、毎回本当に驚かされます。
彼らのエネルギーの感知能力は非常にレベルが高く、繊細なのです。
細やかな優しいエネルギーの世界に生きているので、この三次元の物質界で粗雑な怒りや悪意にさらされることでどれほど疲労するか、容易に想像出来ます。
彼らは先天的に肉体に問題を抱えて生まれることが多いため、直後から病院との関わりが生じます。
手術や薬でどうにか命を保って大きくなってくるので、後天的にも体が弱くなりがちです。
こどもは積聚治療をすることで本当に心身ともに丈夫になりますが、まさに彼らにもあてはまります。エネルギー的に影響を受けやすい状態を治療をすることで常にリセットし、成長とともに変形しやすい骨や関節を伸ばしていけます。

治療に行き詰まりを感じていたとき、読んでいた本にヒントがありました。
そもそもヒトは46本の染色体を持っていますが、この染色体の本数は進化に応じて増えて行くそうです。最終的には50本になるそうですが、実際アボリジニなどの原住民は44本で染色体数が少なく、今の46本は進化の第2段階にあるそうです。次の段階の48本の遺伝子のこどもというのは出て来ており、確認されているらしく非常に能力の豊かなこどもだそうです。
そこでダウン症です。ダウン症は21番目のトリソミーで一本染色体が多いので47本です。
かれらは48本の染色体になるべく進化しようとしたところ失敗した存在だと、その本では言われています。進化に失敗したとは言いますが、進化に近づくだけ存在であっただけあって、かれらのハートの大きさは我々一般人には計り知れないものがあります。
実際ダウン症の子の家族はとても愛情に満ちていて満足しています。
世間で言われているような障害を抱えた家族という見方からかけ離れた幸福感を抱いている家庭が実に多いのです。これはダウン症の子のなせる技です。
彼らはいつも相手を許してしまいます。相手に合わせようと一生懸命です。
それがかれらの疲労や悲しみを作ってしまうことも多いのですが、治療していて彼らの柔らかなエネルギーと結びついた時の感動は忘れられません。
おそらく私が思っているよりもっともっと柔らかで繊細なのでしょう。
でも、そのエネルギーを発見することはダウン症の子を援助することに間違いなくなります。
彼らは自身を見いだし、共鳴することに喜びを持ちます。そのエネルギーを表に出して行くことが彼らの命を養い、ヒトとしての自信を彼等にもたらすのです。
言葉が上手でなくても動作がうまくなくても、彼等はテレパシーで会話できます。
私たちがよく心を開き、アンテナをうまく使えば彼等のこの世での生活はもっと楽で幸せに満ちたものになるでしょう。

治療を始めたその子は、毎回変化していきました。
今では時間は短くとも自分から横になって治療を受けてくれます。
感情表現が豊かになり、歩くことに積極的になり、コミュニケーションの力もずっとアップしました。きっとそれまでも、沢山語りかけてきたのでしょう。
でもそれを拾いきれない固い殻に包まれた私たちがいます。
彼等を取り巻く世界がもっと彼等にとって居心地の良いものになって行くこと。
これは人類の進化にとってもおそらく重大に大切なことなのだと思って記事にしました。

何層もの意識

前回の延長線上の話になる。
治療の都度、一番深く見えるものを目指して治療しているが、結果として毎回治療効果がかわるのは
なぜか。それは私が持っている意識の波長、患者さんの波長が体調や気分、天候を含め、回を重ねるごとに変化していることが上げられる。
物質としての人体は基本同じである為に、痛みや不快感などの物質体由来の治療結果は毎回安定して答えを導きだすことができる。でも、心理面から強く影響を受けている不調は意識状態に強く影響を受けるため、術者の出す気の性質というものによくよく注意しなければならない。
さらには、治療後の目覚めともいうべき気付きにいたっては(なぜ自分がこのようになったのか、もっとこうしたら良いというヒントを見つけるなど)、相手のエネルギーのどこに光を当てるかによって大分かわる。
そうやって、毎回毎回患者さんを見続け、気の動きを追いかけていると、まことに気というものは様々種類があり、深さがあり多層構造になっているものだと感じる。
深ければ良いという訳でもなく、そのヒトがどこに不調を抱えているかというのは浅いレベルにゆがみをもったエネルギーを背負っているときもあるし(そういう場合は周囲のヒトや環境に寄るものが多い)、椎骨のどこかに停滞したエネルギーを抱え込んでいる場合もあり(長年に渡る深い冷えは骨まで入る)、エネルギーの落ちた食べ物を食べたことで胃そのものがエネルギーの重い状態に停滞いている場合もある。
胸郭の緊張しきった呼吸の浅い患者さんには肋間筋のレベルで気を流して行くと動き出すし、下半身が重だるく浮腫んでいるような時には骨盤内の内臓系の気を良く動かしていくことが必要だ。
いずれも、まっさらな状態でよくよく気を追いかけて見ていると動いてないと思っていても気づいてないだけで全く新しいレベルで気が流れていることが多々ある。
気づかないということは恐ろしい。
自分が把握していないだけで、エネルギーは確実に作用しているのに無いことにしてしまう。
”動かない”という想念が動きを止めてしまう。
気が基本的に最も必要なところに流れて行く。
だからこそ、とらわれることなく大きい視点から気を追うことが大事であって、その気の動きに気づいて同調することがその流れをより大きく育むことになる。
気の流れていない場所は、使われていない場所、意識が入ってない場所であるだけに、あらたなレベルに気が入ると相手の意識レベルに確実に広がりが出る。
だから治療後は気持ちが大きく明るく、様々な気づきが得られるきっかけとなるのである。

見たいものを意思する

今日は治療にも普段の生活にもひいては人生にも大きく影響していることを。
鍼灸の仕事を始めて13年程になります。
積聚治療を専門にしてからは8年程でしょうか。
積聚は”意識の治療”です。
意識がどんな状態であるか、どんな意識を送るか、全てが影響します。
自分自身の状態をよく把握し、日々の治療にムラがないように、深い冷えを見極める集中力を、、、、自分に要求することはいくらでもあります。
でも、これらを台無しにしてしまうことがあります。
相手への信頼です。
治療で体に動いてもらうには、まず繋がりが必要です。
異質なものとして見ていてはつながりません。
自分が患者さん自身であるかのように同化することが大事です。
同化というと語弊があるかもしれませんが、治療者と患者さんは同じオーラの中にいるのです。

まずは自分の波長がどの程度の変化を起こせるかをよくよく観察します。
相手の冷えにどんな変化を及ぼしているかを、必ず変化がある前提で観察し続けるのです。
自分の存在が必ず相手に影響を与えているという意識の在り方は非常に重要です。
鍼を持っただけで、鍼先を相手に向けただけで、体は緊張したりします。
見えてなくても体は感じています。
治療者は何に向けて鍼をあてるのでしょう。
今日の主訴に向けて?体の根源の冷えに向けて?腹部の積に向けて?
どれでもよいのです。でも、浅すぎる意識は浅いところにとどまり、深い意識は骨や内臓をも動かします。
どうやって浅深見極めるのか。
それ以上行かないと思えば浅くなり、深いところまで行くと思えば深くなるのです。
そんなバカなとおもわれるかもしれませんが、これは全て実践に基づいて書いています。
浅くしか入らないと思っている時は、自分が呼吸を止めて、緊張させてわざわざ流れを止めています。深く入る時は、自分も一緒に相手の脊髄脳髄まで入り込む様な柔軟さでどこまでもついていきます。この場合の”自分”は治療者も患者さんもどちらでも置き換えることがありえます。
どちらがブロックをかけてもそれ以上は入れないものがあるのです。
深い共鳴が起きるとき、これは受けた人が一番わかるでしょう。
骨格が動き、内臓が持ち上がり、冷えが動くので汗が噴き出します。
治療で耕された体には深く深くエネルギーが入るようになるので、こうして根本的な冷えを動かして健康を常に維持することが可能になるのです。

いつもいつも、自分は今一番深いものを見ていると思ってやってきましたが、決してそうではありませんでした。でも、初心者には初心者の必死さが、純粋さが、迷いの無いエネルギーとなって回復させていたのだと思います。
今は、だんだんと段階を経て階段を降りて来た感がありますが、こんな時こそ、どこにむけて治療しているのか、という意識を明確にせねばならないのだと強く肝に銘じています。
さまざまなレベルを選択できるようになって来た今、目指すものは何なのか?
より早く、深く繋がるレベルとはどんな状態なのか?
細かいものに惑わされずに、本質に深く迫る意思が重要になってくるようです。
今日はほとんど自分に言い聞かせているような日記調となりましたが、”つながる”という面においてはテクニックは全く同じです。
コミュニケーションでも、息を止めて、力を入れていたら相手が入って来れず、何を見たいか意思することによって人間関係が変わります。

こんなやり方、ちょっと参考になれば。

冷房と暮らす

久方ぶりの投稿となってしまいました。楽しみにしてくださった方々には申し訳ありません。

今日は夏の間中気になっていた冷房が及ぼす影響についてちょっと書いてみようと思います。

いつも治療の際に説明している方は飛ばし読みしてくださいね!

後頭部の状態を気にするようになったのはいつからだったか、もう1、2年は経っていると思うのですが、しばしば治療で後頭部に鍼をあてているのを患者さん方はよくご存知と思います。

あれは外のエネルギーとチャクラを結ぶ中継点となっている松果体にむけて治療をしているのですが、松果体をどの程度使えているかは人によって差があります。

松果体に影響があるのは視覚でパソコン、スマホのブルーライトを取り込んでしまって熱がこもっている人、ストレスから硬直状態に陥っている人、頚の状態が悪くうまく松果体と繋がりをもてない人などがいます。

エネルギーの中継点ですからね、なってったって。そこを回しはじめるとうまくいけば脊柱に沿って骨盤まで緩んでパワフルに流れ出します。

治療の際は必ず後頭部から松果体のご機嫌伺いをたてるのが必須ともなっていますが、夏になって途端に多くなるのがこの後頭部の疲労なのです。

今までは冷房の冷えというのは足を温めるようにアドバイスしたり、肩に直接風があたらないようにとかありきたりの予防をするしかないと思っていたのですが、どうも違う。これは頭の疲労だと。

熱は心の代謝を高めるので、夏はとにかく疲弊します。冷房に入るのはそれを予防して体力を維持する上では役に立つのですが、頭に熱が集中するのはなぜなのか。

考えると、それはホメオスターシスとの拮抗があると思いあたりました。ヒトは自分が思っているよりも、もっと広く生きているようです。ヒトの周囲を取り巻くオーラという言葉は誰もが知っていると思いますが、オーラをもっと広げた様な感覚器官がヒトにはある様です。自分の五感を超えた知覚というものがあって、そこが常に外と自分自身をつなげています。その感覚をどの程度自覚するかには幅がありますが、体に反応が出ることをみると誰もに備わった感覚です。

要は涼しい家にいても会社にいても店にいても本当の暑さを体は常に感知しているということです。本来の暑さを感知しつつ体感温度が異なると体はそのギャップを常に感じ続けるというストレスが生じます。そのストレスが無意識の緊張を生み出し、後頭部の熱になっているのでしょう。

ここでは暑さをテーマにしていますが、体は気候だけではなく様々な目に見えないものを感知しています。職場の環境、周りにいる人々の気、感情、おそらくその情報量たるや膨大なものでしょう。そんな情報をもとに意識にのぼらない状態で体が微調整を常に行っています。

さて、冷房によって生じる熱を最小限にするにはどうすればよいでしょう。言うまでもなく外気温との差を最小限に留めることです。差が少ない程体のギャップが軽減します。また、外の風をわずかにでも常に取り込むように若干窓を開けておくのも一つの手です。たまってしまう熱については体を動かして汗をだして気を降ろす。ストレッチでも良いのです。お腹を冷やすことをしない。冷房の効いた部屋でスマホやテレビを見続けるなんてのは最も頭の熱を作り出す状況ですね。書いていて私自身も耳が痛いところですが。。。

冷房を使わない生活は先程も書いた通り、とにかく暑さの為に心の代謝が高まり疲労しがちになります。ただそれは心が弱くない限りは昼寝を取り入れたりして休息を増やし対処できるものです。老人はともかく、若い人で熱中症になりやすいのは、お腹が冷え普段から冷房の生活に慣れて頭に熱が既に籠っている状態の人です。夏は多少の負荷をかけて代謝の働きを鍛える面も必要です。熱中症の為の冷房というのが一般的ではありますが、冷房に浸りきることで生じている、熱中症予備軍も心しておいたほうがよさそうですね。