今日はすこし現世的な内容に話を戻しましょう。
凝ったり重くなったり痛くなったりするのは鍼灸院に来る主訴の主なものです。これらは触れると固かったり、むくんでいたり、熱をもっていたり冷えていたりして健康な状態ではないのですが、なぜこうなるのか、という問題があります。
多くは無理をしすぎた使いすぎたと患者さんは思われていますが、大抵はその逆です。
使われていない場所が不調をきたすのです。
使われていないというのは意識が入ってきません。意識が入らないところはエネルギーが低下し血流が減り、動きもないところなのです。
意識が内に入りすぎる人は皮膚表面はむくんで循環が悪く、そもそも自分にそんな表層があることを忘れているくらいの状態でいます。
頭ばかり使う人は頭部の循環は盛んですが、首から下にエネルギーをもたらさない為に体感部の反応が鈍くなります。
腰が痛い人も腰を普段使わないから冷えて固くなるのです。
五十肩になる人は、胸のエネルギーをうまく使わずに滞りを作るので肩が冷えてしまうのです。
いや違う、という方はもちろんいらっしゃるでしょう。
おそらく使っているつもりでも違う場所が使われてしまっているかと思います。
体をどう使うかは意識の用い方を表します。
本来人間は360度の囚われのない自由な意志と感情を持っているはずですが、そこがネックになるのです。まんべんなく自由な意志の下に使われるべき体が感情的波やゆがみや偏った認識で縛られていたら、、、かならず体に出ます。
体と心は常に連動していますから。
そういう意味では病というものは意識の偏りの集大成みたいなものです。
いくら人間ドックに行って、食べ物に気をつかって生活していても、意識の偏りは病として教えてくれます。
だから学びなんですね。
偏りの無い人なんていませんからね。
かくいう私は偏りを治療していますが、治療家としてはやはり偏りの無い視点というものがとても大事になります。
人柄や性別、学歴、その他自分の中にありそうな偏見全てをまっさらにして望んで尚、治療に際しては自分の経験という先入観と常に対峙していないと見えるものも見えなくなってしまいます。
ゆがみのない円満な意識が円満な波動を作る。
これは治療者も患者さんも全く同じ原理です。