毎週火曜日に行っていることぶき共同鍼灸院。
その貴重な週1回は、とても居心地の良いものです。
それはまさに”来てくれてありがとう〜”というスタッフの暖かい言葉や、雰囲気が気持ちを盛り上げてくれることに加え、現院長Nさんの見えない力が多いに働いているのです。
恥ずかしながら、いつも遅く出勤するのですが既にNさんは治療の人。
でも私の治療道具や治療ベッドは整えられ、いつでも患者さんを受け入れられるように用意され、待合室やトイレは既に掃除が済んでいる、、。私はそこで爪を切ったりカルテを見るだけで患者さんを待てば良く、終了後も「そのまま置いといて、置いといて」と片付けもせずに帰っていいよ、と。
しかも昼休みは私の仕事が終わるまでお昼を食べず、愚痴まで聞いてくれる。
まるで、つきあっている彼氏の実家に遊びにいった彼女な状態。いや、温泉宿に泊まった文豪な気分(嘘)。
そんな素晴らしい菩薩のようなNさんですが、もうかれこれ10年この鍼灸院を引っ張ってくださっている大大大ベテランです。
わたしがこの鍼灸院にたいして何が出来たって、一番良いことをしたと思っているのはNさんをスカウトしたことだと思っているのです。
患者さんにとっては、気取らず構えず話を聞いてもらえる、そしてしばしば笑いをもらえる暖かな存在で、その器の大きさがあるからこそ皆が安心して通える雰囲気を作り出しているのです。
治療は痛いところがあれば誰にでもスッと手をあててくれるような暖かさがあり、真摯そのもの。
人見知りの私から見ると、コミュニケーション能力の高さだけでも大変な大人です。
今の鍼灸院は場所が通りに面した明るい部屋へ移り、患者さんも私の時よりずっと増えて鍼灸師も2名態勢の日が2日程あるようになりました。患者さんは相変わらず多彩な顔ぶれで、私が治療するのはわずかですが彼らの弾丸トークを聞くのは結構な楽しみです。
人それぞれの人生は全く異なる体験ですが、その中で彼らがどんな選択をして生きて来たのか、話の中から知ることができます。若さによって失敗もし、若さによっていたずらに度が過ぎたり、でもある時々を迎えてすこしづつ変容して来たんだな、と。
個人的には今の治療院では出会えない体のタイプの治療ができるのも職業的魅力ではあります。
若い頃地方で育った人が多く、幼いころから農作業をしていた人などは体の骨格からそのエネルギーの強靭さが違います。自然の中で作られた体の力は、無茶苦茶ともいえる生活を送ってきても尚、衰えず治癒の力が素晴らしいのです。こればっかりは、ご両親やご先祖に感謝して欲しい、説教がましいことは言いたくないのですが、素晴らしい宝物を持って生まれて来たのだと。
対して、都会で育った今の若い人はかなり不利です。
胃腸が弱く、運動もしていないと体のリズムが掴みにくい。
体は健康ならば殆ど健康など意識せずに過ごせるものですから、地方で育った健康で頑健な男子達は若さを目一杯謳歌して生きて寿にきたのかなあ。
彼らを見ているとギリシャの時代を思いおこします。
ヒポクラテスとかプラトンとかいたあのギリシャの時代の教育は、少年期はもっぱら体育(舞踊をメインとした)ばかりだったと。知識を教えることは思春期になってからだったと。
体で学習することに重きを置いた、その為に彼らの記憶力は現代人と比べ物にならない程の力があったということです。(参考 シュタイナー教育の方法 高橋巌)
そして哲学者は今のように机に向かって本と格闘するものではなく、外に出て他者と議論をし、旅をして思索する歩く哲学者でした。
私の見ている患者さん達も様々な含蓄を持ち人生観を持ちました。ある意味哲学者だと思うのです。
そして記憶力も素晴らしい。
体を使って生き流浪して来た人々、ことぶきに久しぶりに行って考察してみたところです。