6月から火曜日を休診にして別の鍼灸院に治療に出ています。
ことぶき共同鍼灸院。第一子の娘の育休に入るまで勤務していました。
今日はここの鍼灸院のある 寿町について少し。
寿町は横浜は石川町駅が最寄りになりますが、中華街や元町に行く人々も多く訪れる駅でご存知の方も多いのではないでしょうか。
寿は中華街とは反対側に歩いてすぐの一画にある寄せ場です。
寄せ場というのは東京は山谷、大阪では釜ヶ崎あいりん地区などのような日雇い労働者やホームレスが多く集まり、一泊2000円?くらいで泊まれるドヤ街が立ち並ぶ地域です。
昔は日雇いの集まる場所だけあって酔っぱらいやヤク中ややくざやら昼間から色々立ち入り乱れる吹きだまりなようなハチャメチャな街でしたが、今は日雇いの仕事が激減したことと住人の高齢化が進んだことにより老人、病人、刑務所を出所したばかりの人などの社会的弱者の集まる街となっています。
この街に鍼灸学校の学生の頃、クラスメートの看護士の友人に誘われてボランテイアに通っていました。
鍼灸学校の学生に何ができる訳でも無かったのですが、医療相談で血圧を測ったり尿検査をしたり、明らかに問題のある人には医師や看護士に引き継いでスクリーニング的な役割を果たし、他は世間話をしていました。
当時は18歳で怖いものもなく、ホームレスと話がしてみたかったというだけの動機で、他の様々な分野の学生(医学部の学生、医師、看護師、歯科医、社会福祉士を目指す学生など)と出会い話を聞くだけでも充分楽しんでいたように思います。
この街にボランテイアで来る様な医師は特に人間的にも素晴らしく、医療に対する真摯な姿勢に学ぶところが多かったものです。
まだ日雇いの仕事をしている人も多く、焚き火をして野宿したり酔っぱらって喧嘩をしたり、賭け事をして盛り上がったりしている場所もあり、気さくに話かけてくるおじちゃんがいたりと活気の残る時期でした。
私が参加させてもらった寿医療班ですが、寿に診療所をつくりたいと、その為に40過ぎて医師になった人がいました。その人が目的を成就してつくったのがことぶき共同診療所です。
診療所が出来て何年か経ったのち、私が手を壊し整骨院を辞めていた頃に声をかけてくださったのがその先生でした。
ことぶき共同診療所ではまた色々な経験を積ませて頂いたのですが、、、
続きは長くなったのでまた今度。
月別アーカイブ: 2014年6月
無意識が運ぶ体
体は無意識に働いています。
心臓を動かすのにいちいち意識せずとも働いてくれているのです。
呼吸もいつのまにかしていますし、
皮膚も共に呼吸し、老廃物を排泄し、常に新しい皮膚に生まれ変わってくれています。
どんな人の体も片時も休まず働き続ける正直な働きものです。
そうです、持ち主の性格や行いに関わらず体程正直な存在はいないのです。
問診で聞く患者さんの言葉も大切ですが、体は語らずとも雄弁にすべてをモノ語ります。
表層の意識で生活する私たちは自分のことは自分でコントロール出来ると思いがちですが、体は表層意識で動いているものではないのでそこにギャップが生まれます。
いつ間にか衰えていく体、突然痛くなる体、病。
無意識的な存在の自分と表層意識の自分が遠ければ遠い程、体と自分の距離が生まれます。
体はどんな時も無意識の自分が生み出すものであり無意識の自分が働かせるものだからです。
意識の届かない自分が生きる意思を持って心臓を動かし呼吸をしています。
その反対側で、やりたくないことを我慢してやっている無意識の自分が体にブレーキをかけて
胃を痛くしたり怪我をしたりしています。
無意識の世界の自分は正直です。ですが、無意識の自分が本当は何を望みどのように感じているか完全に把握し言葉にできる人はいないでしょう。
ただ体は語っているのです。
体はその人の無意識の歴史の実在ですので、本人よりもはるかに雄弁です。
ただその声はとてもとても小さな声で、耳をすまし、全身全霊で聞く姿勢を持たないと話してくれません。
私は、そんな体の声を拾い上げて、聞こえる様な声にして患者さんに語る役割と、体と魂が喜ぶ声になるように患者さんとともに取り組むのが生業ですが、10人10色の体の個性に出会うのが本当に楽しいのです。
体は人間に残された最高の自然で、話をよく聞けば実に素直な理解者でもあります。
体を治す旅は、自分のこれまでの無意識下にあった感情や欲求を知る旅です。
自分に見えないものを見る勇気、すべての原因を自分のうちに認める潔さ、きっと色々なものと向き合うことになるでしょう。でも、それは自分の魂の成長のきっかけにもなり、霊的な好奇心をくすぐる刺激的なものとなるでしょう。