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足について

体の緊張のレベルが一見してわかる場所があります。”足”です。足といっても足首から先の足です。
体のエネルギーは足を使って出て行きます。足がきちんと使えてないと邪気が出ていけず体に滞り、下半身の張りやむくみ、婦人科疾患、ひいては上半身にも頭痛や肩こりなどの症状となって出てきます。体はなんとしても負担となるものを出してしまおうとする働きをするのです。
緊張した足はまず足趾に力が入って反り返ったりしています。
体重の掛け方が親指メインで外踝と内踝の動きに差があります。
足裏のアーチが張っています。
外踝が腫れていたりします。
足裏が赤くむくんでいたりします。
手のひらには掌(たなごころ)と呼ばれる気を出すポイントがありますが、足裏にも似た様な足の掌があると思われます。ツボで言いますと足裏の中央部にある”湧泉”ですがもう少し踵よりにあるような気がしています。
この足裏の掌を意識してみると体軸がすっと通り頭の中心部松果体とつながる感覚があります。
この足と頭が繋がっている感覚がとても大事です。
ともすれば頭が熱でつかえていたり、首がねじれていたり、お腹が冷えていたりで、つながりは分断されてしまいますが、本来はつながっているものです。

日本古来の舞踊や能、武道などは全て擦り足という足全体を床に押し付けて歩く様な歩き方を基本としますが、これは下半身を安定させて天と地の気の結びつきを強める非常にエネルギーの流れを大事にした歩き方です。現代はヒールなどで足を固定してしまい、足としての役割を果たせなくなっている足を持った女性が大勢います。人が自然との結びつきを軽視する程にファッションも反映して地から離れるのでしょうか。すり足をすることで足はひらべったく横に広がります。幅の細い足が美しいとされる現代の女性には敬遠されそうなすり足ですが、日本人はみなすり足を基本の動きとする芸事をやれば健康度がアップしそうなものだと常々思います。そしてすり足を見事に使いこなす人々の足の美しさ。力がぬけて爪や足先の血色も大変良い足を持っています。

普段すり足が出来ない人には土の上を散歩することをおすすめします。土は邪気を吸収する力を持ち、クッション性のある凹凸が頭の深い場所を足から刺激します。無意識のレベルを揺さぶるのです。ぽったらぽったら歩いては行けません。踵からしっかり土踏まずを引き延ばすようにゆっくりでも足をしっかりと運んでください。足が緩んでくることと体が緩んでくることは同じことです。普段どんな靴でどういう歩き方をしているか今一度確認してみると良いでしょう。足裏をしっかり使って左右のバランスを真っ直ぐに。始めはぐらぐらしていても意識していると出来るようになります。足がしっかり働けるとなんとも効率の良い体になるものです。

次回は無意識という言葉が出て来たので、”無意識が運ぶ体”です。

フォルメンの魅力2

フォルメンは様々なアプローチで体験することが出来ます。
動きで体験するのはシュタイナーの考案したオイリュトミーです。
日本の植芝盛平が生み出した合気道もフォルメンの動きを体験しています。
合気道をしていると延々と円の途切れない流れの一部となったような気がしてくるのです。
どちらにも共通しているのは体を開き相手との調和(気の流れ)を感じて動くという点です。
おそらく円や螺旋といった曲線運動はエネルギーを育み増幅させる力がある命の動きなのではないでしょうか。
書道もフォルメンの一種と言えます。古代文字は形から作り出され、フォルメンそのものでした。
そこにリズムとデザインが加わり、東洋独自の紙、墨、筆で独自の美を開拓していきます。
刺繍や編み物はまさにフォルメンです。ステッチの規則性の美しさ。糸の動きはレム二スカートの八の字を思い起こします。昔の人は生活の中に宇宙の規則性、法則性を読み取り見事に表現していたのだと思わずにはいられません。
古代の建築物や石像などには繊細な細工が施され芸術としてのフォルメンが生きています。
他にも美しい動きの中にはいくらでも読み取れるのでしょう。

鍛えられた規則性や形になぜこんなに人は揺さぶられるのでしょう。
それは私たちの内面から湧き出る喜びなのです。
形が円満で調和が取れていること。
それが最高のエネルギーバランスであり私たちが目指すものであるからでしょうか。

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フォルメン 線描芸術の魅力

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今日はフォルメンをご紹介します。
シュタイナーは人間の認識の道の始まりはまず”形”から入ると言います。
形の認識から世界と自分が結びついていくのだと。
形なくしてこの世界はありえません。
そして、エネルギーや動きも形の軌跡を造っています。
シュタイナーは教育はフォルメンから始めるとしていますが
フォルメンは治療としても用いることが出来ます。
単純な線から始まり、だんだんと組み合わさって複雑な動きを追うのは集中力と意思を要します。真っ直ぐな直線をフリーハンドで描くのが難しいように円や曲線もまたバランスをもって
本来の柔らかさを表現するのは非常に労するものです。
しかし、これらのリズムと調和をだんだんと獲得していくことが、自らの調和とリズムを整えることにつながり、その調和とリズムの一致が魂と体の結びつきを強めることに他ならないことなのです。

写真はルドルフクッツリ著フォルメンより

微量であること

薬を投薬される際に”ごく微量だから”という言葉を聞いたことはありますか?微量のステロイド、微量の安定剤、微量の誘発剤、、、そこにはごく微量だから副作用が少ないなどの、より自然に近い医療を施しているイメージを抱かせます。そっか、微量だから大丈夫か、と思って長期にわたって微量だから、と自分を納得させて薬を使用している人は多いでしょう。
微量でありえる薬は含まれる成分独自の作用がより強力であるから成り立つ場合がほとんどで、薬の処方に慣れている医師基準の”微量”であることが前提にあります。そして微量なものをいつまで使用するか期限つきで使用しないと微量の意味は発揮されません。
そもそも自然療法では特にホメオパシーにおいては成分の希釈度に応じて効果の強さが変わりますが、効果がより強いとされるものが希釈度の高いものになるのです。
現代薬とは反対の考え方です。
一方で鍼灸でも、刺激は少なければ少ない程深く効くという印象があります。マッサージを何時間も受けても、逆に揉み返しになるかその後また同じ場所がこってくるかのどちらかでしょう。
鍼灸も沢山鍼を打てば打つ程効くということは決してないのです。必要とされる場所を見極めて、最小限の刺激で最大の効果を導いている鍼灸師はいます。病や症状の原因となるような場所は高度の緊張と冷えが入っている非常に繊細な場所と考えられます。そこにどのような雰囲気で鍼を持っていき、どの角度であてるか刺入するか、どの程度鍼を留めるか、すべてが必要とされるエネルギーの作用として影響を与え得るのです。そのような場所に適切な処置を施した場合は何時間もの治療を施すよりも余程の効果が見込まれます。
むしろ、何時間もの刺激は体をかく乱させ疲労させるものですので、バランスを回復させる力を失わせる恐れがあるものです。
ホメオパシーの場合も同様にその人の為にもっとも適したレメデイーであるならば、そのエネルギーレベルがもっとも落ちている場所にクリーンにヒットするものとなるのでしょう。静まり返った水面に小石が放り込まれるようにその波動が遠くまで広がるのです。必要なのはエネルギーのレベルが高度でわずかであれば、不調なところも同調しやすいということなのです。
とはいえホメオパシーの専門家ではない私がそんなに言うべきところでも無いのかもしれませんが。
しかしながら、そういったことを踏まえて現代薬の微量について振り返ってみると微量とは体にとってどういう意味を持つのか、ちょっと考えてみたくなります。
微量であるからこそ、エネルギーレベルに大きな影響を与えているのでないでしょうか?
だからといって量を増やすことは物質体の体に直接の影響を与えすぎます。
ただ微量であることに注意して自分の体をよくよく観察することです。