薬を投薬される際に”ごく微量だから”という言葉を聞いたことはありますか?微量のステロイド、微量の安定剤、微量の誘発剤、、、そこにはごく微量だから副作用が少ないなどの、より自然に近い医療を施しているイメージを抱かせます。そっか、微量だから大丈夫か、と思って長期にわたって微量だから、と自分を納得させて薬を使用している人は多いでしょう。
微量でありえる薬は含まれる成分独自の作用がより強力であるから成り立つ場合がほとんどで、薬の処方に慣れている医師基準の”微量”であることが前提にあります。そして微量なものをいつまで使用するか期限つきで使用しないと微量の意味は発揮されません。
そもそも自然療法では特にホメオパシーにおいては成分の希釈度に応じて効果の強さが変わりますが、効果がより強いとされるものが希釈度の高いものになるのです。
現代薬とは反対の考え方です。
一方で鍼灸でも、刺激は少なければ少ない程深く効くという印象があります。マッサージを何時間も受けても、逆に揉み返しになるかその後また同じ場所がこってくるかのどちらかでしょう。
鍼灸も沢山鍼を打てば打つ程効くということは決してないのです。必要とされる場所を見極めて、最小限の刺激で最大の効果を導いている鍼灸師はいます。病や症状の原因となるような場所は高度の緊張と冷えが入っている非常に繊細な場所と考えられます。そこにどのような雰囲気で鍼を持っていき、どの角度であてるか刺入するか、どの程度鍼を留めるか、すべてが必要とされるエネルギーの作用として影響を与え得るのです。そのような場所に適切な処置を施した場合は何時間もの治療を施すよりも余程の効果が見込まれます。
むしろ、何時間もの刺激は体をかく乱させ疲労させるものですので、バランスを回復させる力を失わせる恐れがあるものです。
ホメオパシーの場合も同様にその人の為にもっとも適したレメデイーであるならば、そのエネルギーレベルがもっとも落ちている場所にクリーンにヒットするものとなるのでしょう。静まり返った水面に小石が放り込まれるようにその波動が遠くまで広がるのです。必要なのはエネルギーのレベルが高度でわずかであれば、不調なところも同調しやすいということなのです。
とはいえホメオパシーの専門家ではない私がそんなに言うべきところでも無いのかもしれませんが。
しかしながら、そういったことを踏まえて現代薬の微量について振り返ってみると微量とは体にとってどういう意味を持つのか、ちょっと考えてみたくなります。
微量であるからこそ、エネルギーレベルに大きな影響を与えているのでないでしょうか?
だからといって量を増やすことは物質体の体に直接の影響を与えすぎます。
ただ微量であることに注意して自分の体をよくよく観察することです。
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野口晴哉
野口晴哉は”整体”という言葉を創った野口整体の創始者です。私は野口整体はやりませんが、野口晴哉の言うことは治療においてとても参考にしています。野口晴哉は幼い頃からの人間観察と生まれ持った霊的能力で、体癖の分類や、言葉による無意識への働きかけ(暗示法)、気を送って体を整える癒気法などを一般の人の為に編み出しました。
前回の痛みについての続きですから、痛みについて触れた著書から抜粋します。”人間の探求”より。
「本当を言うとみんな子宮の収縮する感じを痛いと間違えてゴタゴタにしているのです。だから心が注意を集めて収縮していく行程を見ようという客観的な立場をとった時は、はっきり収縮しか感じないのです。痛みというものは主観的に感じている時だけ痛みなのです。だからその収縮の行程を見ようとする客観的な立場に立つとそれは途端に収縮という感じに化けてしまう。ソオッと抓れば縮む感じですね。不意にフッと抓られれば痛い感じですね。自分でこう抓ってみるとどこまでいっても収縮する感じです。不意に人から抓られると痛いのは自分で見ていないからハッと咄嗟の主観的な感じしかしないからです。」
野口晴哉の言葉はいつも明快でリズムがあってなんとも爽やかな読み心地です。これはお産の痛みについて説いた言葉ですが、痛みについて考える大きなきっかけとなりました。主観と客観というのは実際やろうとすると自分の中の恐れや緊張に向き合うことになります。自分で痛い思いをした時に試すようになり、物質体としての自分を見下ろす霊的な自分に立ち位置を変えることでかなり痛みに強くなりました。霊的、とか物質体とかまた新しい言葉を出してしまいましたが、これについてはまた今度。
痛み
痛みと一口に言っても腰痛、五十肩から腹痛、生理痛など色々な痛みがありますが、今日は不妊治療の採卵による痛みの患者さんが続いたので、痛みについて少し書いてみようと思います。痛いというのは、人の感覚の一部として外部の刺激から防御したり、内部の異常を教えてくれたりする大事なものですが、これは以外とコントロール出来る面もあるのです。痛いというのは、まず傷ついたその時と、炎症が起きてくるその時に引き起こされるものですが、それによる恐れと拒否反応から必要以上に痛みを増幅したり引き延ばしたりしていることが多いのです。痛みに対するそのような緊張状態は局所を乏血状態にする為、始めの段階は良いかもしれませんが、いつまでもそのような状態に置くと治癒が促進されません。また緊張に偏りが出るためバランスそのものの狂いを作り出します。そして、恐れがまた痛くなるだろうという予期をし始め、それほどでもない痛みを大きなものにし続けるのです。これはどんな場合の痛みも似たような反応を示しています。
治療で関与できることは、狂ったバランスを修正すること。そして痛みにたいする恐怖や驚きといった一種のショックが体のどこに入ったか、探り当てそれを流していくことです。ショックが目に見える形で存在する、なんて言っても信用されないかもしれませんが、意識に入ったものは体に反映されます。そして頭に緊張したエネルギーとして留まり続けるのです。意識が体を支配していることは、治療しているとよく実感することです。今日も意識を休ませて開放することで、流れていった痛みがありました。無意識の支配。体の働きは無意識そのもので働いています。
次回は痛みについて知ることになった、野口晴哉について少し触れます。