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ホメオパシーとアロパシー

最近、夢中になって読んでいるサミュエルハーネマンの”医術のオルガノン”からホメオパシーと鍼灸について考えることを少々。
ホメオパシーというものはレメデイーを処方するホメオパシー療法が基本ですが、一つの考え方であると思います。昔から伝わる民間療法はホメオパシー医療でした。たとえば、やけどの治療一つを取り上げてみても、その違いは明白です。今はやけどはまず冷やせと言われています。でもその為に水泡がつくられてしまい、皮膚がダメになるのです。ホメオパシー的にはやけどは温める、です。やけどをした温度より少し低い温度で少しづつ下げていきます。そうすることで皮膚機能を維持したまま水ぶくれをつくらずに治すことが可能だったのです。凍傷の場合もそうです。人は皆、無意識にわかっていたのです。いつから医学はアロパしーが主流になったのでしょう。

ホメオパシーとは同種療法ともいわれ、ヒポクラテスの唱えた「症状を引き起こすものは、それを取り去るものになり得る」という同種の法則をもとにドイツの医師ハーネマン(1843年没)が生み出した療法です。ヒポクラテスの時代(紀元前370年没)はホメオパシー医療だったということですね。それに対するものがアロパシーと言われます。逆療法ともいわれ「体におきている症状と反対のものを与えることで症状を取り去る」考え方で現代医学に象徴されるものです。
アロパシー医学は原因を物質に求めていると考えており、体を物質として捉え、物質を細分化して原因を探った結果がウイルスや細菌が病の原因であるとするまでに至りました。
対してホメオパシーは体を有機的な繋がりをもったエネルギー体として捉え、患者のバイタルフォース(生命力治癒力)をいかに調整するかで処方が決まります。
今ある幾多の医学的手法は、このホメオパシー的であるかアロパシー的であるかに分類出来るのではないでしょうか。
体をどのようにとらえて治療をするかによって、鍼灸にしても結果はまるで異なってきます。
一般的には鍼灸といえば熱い痛いと怖いもので捉えられがちですが、これはアロパシー的に捉えた結果の認識だと思います。固ければ刺し、冷たければ熱い灸をする。同じ鍼灸でも現代医学的診断に沿って鍼をすればそれは物質をいかに変化させるか、という考えに基づくわけで、足りないものを補うというスタンスはさけられません。
それに対して積聚治療はじつにホメオパシー的治療です。根源の精気にむけて治療するという根源の概念、相手の波動に共鳴して気を送る同調の調整。症状にとらわれず、その症状を起こしている背景を読み取り、根本から治療するようにたてられた治療法。
肝心なのは私たち治療者が生まれてこのかた、医療といえばアロパシー一色で、その考えに知らず知らずにつかって成長していることです。患者さんの訴えの背景をよく見る訓練を重ねても、ついつい患者さんの足りない部分に目がいきそうになるのはまぎれも無くアロパシー教育の成果だと思われます。患者さんももちろん、そのような要求をする方は多くいます。痛いところに鍼をすれば治るのではないか、冷たい足に灸をすれば良いではないか、、等々。もちろん、体の状況によってそれで良くなることもあります。その治療が体にとって共鳴する刺激だった場合です。でもそう単純な病態で無い時、ホメオパシー的観点が重要性を持ってくるのです。
アロパシー医学の必要性はもちろん認めるところではありますが、ホメオパシー医療の存在、考え方はこれからの医療の世界に必要急務ではないかと思います。
バイタルフォースの世界に目を開くことは物質ありきの世界に限界をきたしている救世主となるでしょうし、なにより多くの人の感覚の歪みを修整していくことでしょう。
それでは、ホメオパシーが治癒させているものとは何か?次回探っていくことにします。

ワンネス

治療はまさしくワンネスだなと思うこの頃。
あなたに起きている全てにアクセスして肯定する権限を貰っている。
そう、否定でもジャッジでもない、必要なのは肯定することのみ。
治療家は体の援軍みたいなもので、本来もっている力を後押しして力づけ、存在に気づいてもらうこと。
それが仕事。
それはけっして力や量の世界ではなくて、ただただ波動と意識の世界。
見えないエネルギーの糸を編んでいる様なやりとり。

最近、やっとエネルギー体への治療がこういうものだとわかるようになった。
そうなると毎回の治療が感動で、面白くてワクワクするものになる。
これまで、こういう治療が出来ずに通り過ぎて行った全ての患者さん、昔からずっと通い続けてくださっている患者さん、すべてに心から感謝。
シンキュウの世界は現実世界でやっていくのに困難が多いけど、こんなに楽しいのだったらもっと広めていいよね?と思えて来た。

バラのエネルギー

柔らかく、優しいサーモンピンクのような色合いで、ゆったり波打つ穏やかな波動。
まさにこんなバラのようなエネルギーを持つ子供達がいます。
こんな波動だったら相手のどこまでも染み通って入っていく、全てのものの気を許してしまうようなエネルギーなのです。。

子どもの時間

最近考える子どものこと。
あなたのお子さんは疲れていませんか?
今日は子どもを巡る”時間”から子どもの体と心を探ってみたいと思います。

いつも思うのは子どもの世界というのはそれだけで完成しているということです。
彼等は、個でいるとその完成されたファンタジーの中にひたり、集団でいると自然とリーダー格を決めて調和の中で今一番やりたいことを全身を使って延々と遊びます。
その自発性と自然発生的な協調性、何も無いところから生まれる発想力こそが子どもの持つ宝物であり、大人が到底適わない能力です。
最近は子どもが自由に遊べる場所が公園しかなくなっていますが、場所だけでなく時間すらも大人に奪われている子どもの多いこと。
子どものうちに学習しないととばかりに早々に塾に行く、習い事でぎっしりになって窒息しそうに疲れている、習い事が無ければゲーム機から離れられず目と頭を酷使する、、。。
疲れは思考を一方向に持って行きます。
体が硬直するので、いつも使っているようにしか体は動きませんし、頭もそのように一方向性に働きます。
遊びと習い事の何が違うのでしょう。
習い事は指導者のペースで指導者の理解の中での動きを反復させます。
ペースが全員一致もしくは指導者のペースであることは人の呼吸に自分を合わせており、ひどく消耗させます。
また、学校の体育にあるように全体性を意識したスポーツの多くは直線的なパワーであり体の使い方もそれに従って同方向にしか動かさない傾向が出てきます。
その為、動かさない方向の筋は固くなり疲労がたまりやすく怪我をしやすい。
人の動きは分子レベルで考えると円運動が必須です。
らせんや円が入ることで関節がまんべんなく動き、柔軟な動きに対応した体が出来ます。
子どもの遊びは子どものペースですから、呼吸は問題ない。
動きには鬼ごっこに見るようにつかまりそうになると後ろに退いたり、横によけたり、円に走ったり実に様々に反応します。野球などをしていても、無駄な動きをつけながら遊んでいます。
昔遊びでは特に円運動は顕著です。かごめかごめや、コマ回し、けん玉などは全身を上手く使わないと熟達しません。
一見無駄な動きを自らのリズムでスムーズに操る。それが、遊びの重要なところなのだと思います。
自分の意思決定と体の使い方が一致しているのは子どもにとって案外大事なのではないでしょうか。
それが、忙しくなっているとどうでしょう?
体を一方向にしか使えていない場合は、思考も一方向性となります。
色々な角度から柔軟に思考することが出来ず、自分と異なる他者を除外したり非難したりしたくなります。
無駄に考える時間もないので、その子がもともと持っていた興味や好奇心は後回しになります。
余裕がないと効率よく生きる為に、目の前の課題に対処する以外のことを忘れていくのです。
自分の意思のないところで様々な決定があるので、受動的になり疲れやすくなります。
常に与えられるので新しいことを生み出すアイデアなどの発想力や他者にたいする想像力が衰えます。
自我が主張する小さな大人の出来上がりです。

誰かに指導されたり、監視、操作されている世界ではこの世のものとしきれないものを子どもは沢山持っています。
子どもは一杯無駄な時間と無駄な経験を繰り返しながら、周りの人間を理解し、環境を理解し、自分を理解して行くのだと思います。
サル学の権威の河合雅雄は小さい頃に遊んだテリトリーの大きさが、その後の人生の豊かさになると言いました。
習い事や塾ははたして子どものテリトリーになり得るでしょうか?
その子の時間を、自分でリズムを見つけ色をつける、そんな当たり前の時間が一人一人に還ってくるとそれこそ大きなエネルギーとなってその子の人生や社会に還元されるのでしょう。

感覚を広げることが治癒の道

桜も終わり新緑がまぶしい季節ですね。
今日は治癒に不可欠な認知の力にふれてみたいと思います。
皮膚感覚相手に治療すると様々な感覚の相違に出会います。
痛いはずが痛くなく、冷たいはずが火照っている。
病んでいる場所は感覚も同時に病んでいます。
皮膚感覚は反応が良ければ良い程、治癒が早く、反応が鈍い程に治癒が遅いという関係にあります。
代謝の落ちた筋や皮膚は鈍く触れても反応を感じません。老人と子どもの反応の速さをイメージしてください。車が後ろにいても気づかずに前を歩いている老人を見たことはありませんか?音も聞こえていませんが、背中の感覚を全く使えてないので気配を察知しないのです。周囲の世界と隔絶した中で生きている様な状況です。
体の老化とは体内の代謝酵素の減少であり、筋肉が減るとか、姿勢が悪いからというものではありません。筋肉の細胞の代謝に関わる酵素の量、皮膚も、内臓も全てに於いて言えることです。
治療の際には筋肉をつけるのでは無く、質の良い筋肉を持つことが大事だとお話しますが、筋肉は生活に必要な量が維持されるものです。一時の筋トレに夢中になっても、日常で使われない筋肉は落ちます。もちろん、普段から歩いたりストレッチすることで維持される筋肉はあるので、そういった取り組みは大事です。でも、筋肉の質が固く冷えたものであると体のトラブルは免れません。怪我をしたり、あっちが痛いこっちが痛いという結果を招くでしょう。
この質のよい筋肉こそ、代謝酵素のアップした筋肉であり、反応が早く鋭敏な体をつくるものになるのです。
ここでは分かりやすく筋肉を例にしていますが、皮膚も同様に考えられます。
皮膚は機能としては神経感覚経であり、排泄、保温、知覚様々な役割を担う一大器官です。この皮膚感覚が落ちている状態は、これらの機能が一様に機能低下状態にあるといえ、体の内部をのぞく指標となるものです。
皮膚の上に鍼をたて、気を通して行くという作業は常にからだの極一点に意識を集中し、一点と全体をつなげる作業を繰り返していることになります。一点を認識するのは脳の認知であり、その為に患者も術者も意識を集中させます。エネルギー体としての動く皮膚が、流入してくるエネルギーに反応するのは皮膚だけの働きによるものではないでしょう。感知し、感覚を開き、温まり、汗をかく、そのような自律的な変化を起こすのは体全体の律動運動です。
皮膚の感覚が落ちている時は鍼が触れていることを感知することができません。それを情報として運んでいけないと、必然的にあとに起きて来る注意の集中、血流の集中、の動きが全てにおいて遅く鈍いものとなるのです。
鈍さは全ての冷えによって生じる現象ですが、代謝があがると感覚が戻ってきます。
今まで痛くなかった場所が押されていたく感じたり、違和感として感じたり、認識されるようになるのです。
さしずめ、世界が広がるとでも言いましょうか。
認知の世界が広がるのです。
そうしてくると、治療で何をしようとしているのか自ずとわかるようになるでしょう。
感覚の広がりは体と治療に関するだけではありません。自分を取り巻く世界の全てに感覚が広がるのです。
固く冷えて積を一杯抱えた体が、感覚が広がることで体そのものが開いてくるのです。
積は”我”であるといわれますが、体が温まり開いてくると、積が取れてきます。
世界と自分をつなげること。
治療はそれに尽きるのでしょう。

ふと降りて来たので

すべてを肯定しなさい。繋がりを持ち続けるだろう。

と、言葉が降りてきました。そうでした。ダメな時も良い時も、それを続けるか選択するのは自分。
相手に批判を加えたり、批評を加えることがつなりを断つきっかけになる。相手を肯定し信じていればそのラインはずっと生きているのです。
最近はSNSで物事の批評や批判をしやすくなりました。フェイスブックのいいね!ボタンすら批評の一端であることを思えば、分断の一端を担っているのです。
すながりやすくなったようにみえる世の中ですが、人と苦労して時間を作って会ったり、イメージして思い浮かべるという作業は極端になくなっています。深い結びつき、心と心の交流が明らかに浅いレベルにあることを思うと、確かにエネルギー的結びつきは短く浅く切れやすいものとなっているようです。
相手との信頼を持続するには、相手を思い浮かべたり、自分の内的世界を豊かに保つ努力が今ではとても必要なことと思われます。
テレビやネットのニュースが

新たなるエネルギー

年が明けてから、治療が変わりました。いや、積聚治療は同じなんですが、エネルギーの使い方が180度変わった気がします。なぜなんでしょう、攻めの治療が出来るようになりました。

今までは触れているだけで患者さんのエネルギーと同調することに集中していたのですが、そうではなく私から出すという姿勢になったのです。詳しくは私ではありませんね。私の周りにある全て。私を貫くなにかを通しているのです。

鍼先の一点が触れている皮膚ですが、そこがどのように振動し変化しているか読み取るようにしていると、実に人の体は賢い。必要なところに必要な動きをするのです。そして、私の思考がついていくとどこまでも無限に広がっていくのです。

きっかけは、自分の人生にたいする納得でした。私の背景はまったくもって運任せといってもいいもので、周囲の人に恵まれてきたから今があります。当然、失敗だらけでそれを克服する勇気もない人間でしたので、自分程運がよくて弱虫な人間はいないと自信をもっています。でも、人生はチャレンジだと、ふと気づいたのです。挑戦することに意味があり、失敗は何も問題ではない。失敗はチャレンジしたことの証なのだと。これは多くの人にとって当たり前の事実なのでしょうが、私にとっては初めての人生にたいする攻めの意識の大変革でした。運が良い為に、人生は運が運んで来るものと思っていたようです。天性の楽天家の為に運が良く、この運任せ思想が身についてしまったと思われますが、主体性がこの年になってようやく身になってきたのは少々遅いですね。患者さんの皆さんは、本当に努力家と賢い方ばかりで、なんと偉いのだろうといつも頭が下がります。

しかし、このような思考の逆転は見事にエネルギーの流れを変えました。治療のエネルギーも自分から出すことをイメージすると疲れとかネガテイブエネルギーとかを考える必要もないのです。まさにエネルギーは湧いてくるものでした。湧いて来たり、降って来たり、運ばれて来たり、実際は実に様々な与えられ方をしています。無尽蔵のエネルギーといつでも仲良くしておくには、思考を固めない、集中したら拡散する、良いイメージしか持たない、食べ過ぎない、常に体と心を軽い状態で保つことです。人のする仕事ですので、プロであれば極力のムラを出さない努力は必要です。

常に喜びと感謝を持って、万象を楽しむこと。自分の治療に向けた意思を明確に持ち続けること。そんなことでしょうか。今年は益々パワーアップしそうです。お楽しみに!

ムクロジ

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今年初めての投稿がすっかり遅くなってしまいました。
皆様、今年も宜しくお願い申し上げます。
年初の投稿はムクロジの写真から。ムクロジは無患子と書くように、こどもが病気をしない患わないという意味になります。お釈迦様が『煩悩を消し去りたいならばムクロジを108個貫き通し、輪にして常に持ち歩きなさい』と言われお数珠の元を作られたように、ムクロジには邪気を払う力があるとされてきたものです。
別名ソープナッツとも言われるように果皮にはサポニンが含まれ、天然の石けんとして用いられもしますし、漢方では強壮、止血、消炎等の薬効が重用されているようです。固くて弾力のある種子は羽子板の羽の錘になっていますね。
このムクロジは年末の買い物をしている時に警備員さんがくださったものです。
娘が咳き込んでいる様子を見て、病が治りますようにとの暖かい気持ちとともに、意味を教えてくださいました。誰かにあげようと思って、ポケットにしのばせていたそうで、その気持ちだけでもとても癒されました。
お年寄りは、いつもあめ玉を持っていたり、折り紙を持っていたり、人に喜ばれることをイメージして生きている人が多いですね。SNSとかに頼る今の世代は逆に他者との距離を作ってしまいますが、現実世界に深く根を下ろすことの重要性を特に感じるこのごろでもあります。
今年は自分の頭の中のイメージをいかに現実に還元していくか。余計なことを持ち込まずに頭の中をシンプルにして一点集中の力を上げていこうと思います。
皆さんも治療で人生の交通整理をしながら、さらなるパワーアップをして参りましょう!

いつか

治療室をしていると、色々な出会いがあります。
皆さんの豊かな才能の持ち主で、それがあるべき方向に花開いていくと輝きを増して行きます。
ただ、その才能の発露が、社会での活躍〜経済的結びつきに直結しないのが苦しいところです。
どうでもいいような大手の健康業界は一杯人が入るのに、個人で本当に良い活動をしている人は困難な思いをしている人がいます。
私も個人で開業してきて、皆さん一人一人の信頼関係だけを軸にこれまでやってきました。
良いものは良いとアンテナをたててくださる素晴らしい患者さんに恵まれたからこそ、たまたま今があるような感じです。
いや、今があるといってもまだまだ未熟者ですがね。
ゆくゆくは、これらの才能を集めて第三の医療システムとして一つの形がつくれたらなあなんて思います。
私が治療室でやっているのは気による鍼灸治療ですが、家では書道を教え、これもフォルメンなどを同時に取り込むことで形を習得するエネルギーワークになると思っています。その形は体で動くことでオイリュトミーという身体芸術療法になりますし、ヨガというチャクラを利用した健康法にも昇華されていくと思います。
他にも内的世界に足を運んで自らを癒す催眠療法、カウンセリングなどなど、アプローチは実に多岐に渡るのです。
今は変動が大きく右に転んでも左に転んでも転び方が大きく激しくなります。
下がるのも上がるのも自分次第。
その分、自らの軸をしっかり持って、アンテナが高く伸びるときでもあります。
自分で出来ることを皆さんがさがしている中、これらの才能を分かち合いたい、はげしくそう思っています。
とにかく、こうして言葉にして飛ばしましょう(笑)
始めに言葉ありきなんですから。

風邪を引いたら

急に寒くなって風邪をひいている人が多くなりました。
風邪は取り込んだ冷えを出す動きですから、常に冷えを入れてしまったら出す、という作業をまめに繰り返してるとそうそう風邪は引かずとも済むものです。
でも、うっかり忙しかったりしてそんな心配りが出来ないことも多々あるのが日常というもので。
風邪をひいたと感じたとき、皆さんどうしていますか?
患者さんに多いのは葛根湯を飲んで早く寝る、しばらく様子をみてしつこいようだったら病院へ行く等で、マニアックなひとでは梅醤番茶を飲むとかお灸をするとか、玄人な技を持っていらっしゃる方も。
夜でしたら温かくして早く寝る、は必須条件です。
でも、朝や昼間でしたらゴロゴロしていてはあまり良くありません。
そもそもだるかったり、動く気力が湧かないのが風邪ではありますが、熱が出ていないかもしくは微熱の時は普段通り動きましょう。
くしゃみし鼻水出しながらでもこまめに動いて体を程々に温めます。
風邪の時は胃の力が先に弱っていますから、非常に冷えやすい体になっています。
ここで寝込んでしまうと体は停滞します。
もちろん温かい格好で、その時の体力に応じたことをすれば良いのです。
風邪は早いもの程早く出て行きます。
汗をかいて熱を下げるのはみなさん知っていることでしょうが、熱が出ない様な風邪は自分から汗を出しにいってもよいのです。
喉の腫れやのぼせの症状はかなり治まってしまいます。
体を温めなきゃと思って、ホッカイロを貼ったり電気毛布を入れて寝たりしなくて良いのです。
外から温めにいくと体が自分で熱を生み出すことを怠るようになります。
熱を出せない体にどうやって熱を生み出させるかが大本の働きかけです。
温かい格好でせっせと動いて掃除するなり、ストレッチするなり普段と少し違うところを動かしてあげることも体のスイッチを入れるきっかけになります。
伸びない体は冷えが入っている場所です。
伸ばすことで冷えが動きます。
冷えている胃には温かい生姜茶や大根おろしをたっぷりすりおろして生姜と醤油をたらしてお湯で割る大根湯が効きます。
どうしても動きたくない時はコンニャクをゆがいてタオルで巻いてコンニャシップをします。しっかりした熱を冷えている部分にだけ短時間充てることが治療的意味をもたらします。
治療に必要なのは積極性です。
本当に悪くなると、自分の中の積極性は枯渇してしまい、他者の積極性=看護が必要になりますよね。
そうなる前に、いつでも自分の中の働きかけが起動できる状態に保つことが大事なことです。