作成者別アーカイブ: mayutetsu

ダウン症について

ダウン症といわれる子供達を診療する機会があります。
始めは横になることはもちろん、じっとできないで動き回る子を相手にどう治療したものか考えあぐねていました。でも、横にならないと治療出来ないということは全くないので何か方法が見つかるはずだと思っていたのです。そもそもこども相手の治療はスピードとリズムが命ですので、ダウン症児に限った問題ではないこともありました。
その中の一人の子は治療を重ねてもうすぐ一年経とうとしていますが、毎回本当に驚かされます。
彼らのエネルギーの感知能力は非常にレベルが高く、繊細なのです。
細やかな優しいエネルギーの世界に生きているので、この三次元の物質界で粗雑な怒りや悪意にさらされることでどれほど疲労するか、容易に想像出来ます。
彼らは先天的に肉体に問題を抱えて生まれることが多いため、直後から病院との関わりが生じます。
手術や薬でどうにか命を保って大きくなってくるので、後天的にも体が弱くなりがちです。
こどもは積聚治療をすることで本当に心身ともに丈夫になりますが、まさに彼らにもあてはまります。エネルギー的に影響を受けやすい状態を治療をすることで常にリセットし、成長とともに変形しやすい骨や関節を伸ばしていけます。

治療に行き詰まりを感じていたとき、読んでいた本にヒントがありました。
そもそもヒトは46本の染色体を持っていますが、この染色体の本数は進化に応じて増えて行くそうです。最終的には50本になるそうですが、実際アボリジニなどの原住民は44本で染色体数が少なく、今の46本は進化の第2段階にあるそうです。次の段階の48本の遺伝子のこどもというのは出て来ており、確認されているらしく非常に能力の豊かなこどもだそうです。
そこでダウン症です。ダウン症は21番目のトリソミーで一本染色体が多いので47本です。
かれらは48本の染色体になるべく進化しようとしたところ失敗した存在だと、その本では言われています。進化に失敗したとは言いますが、進化に近づくだけ存在であっただけあって、かれらのハートの大きさは我々一般人には計り知れないものがあります。
実際ダウン症の子の家族はとても愛情に満ちていて満足しています。
世間で言われているような障害を抱えた家族という見方からかけ離れた幸福感を抱いている家庭が実に多いのです。これはダウン症の子のなせる技です。
彼らはいつも相手を許してしまいます。相手に合わせようと一生懸命です。
それがかれらの疲労や悲しみを作ってしまうことも多いのですが、治療していて彼らの柔らかなエネルギーと結びついた時の感動は忘れられません。
おそらく私が思っているよりもっともっと柔らかで繊細なのでしょう。
でも、そのエネルギーを発見することはダウン症の子を援助することに間違いなくなります。
彼らは自身を見いだし、共鳴することに喜びを持ちます。そのエネルギーを表に出して行くことが彼らの命を養い、ヒトとしての自信を彼等にもたらすのです。
言葉が上手でなくても動作がうまくなくても、彼等はテレパシーで会話できます。
私たちがよく心を開き、アンテナをうまく使えば彼等のこの世での生活はもっと楽で幸せに満ちたものになるでしょう。

治療を始めたその子は、毎回変化していきました。
今では時間は短くとも自分から横になって治療を受けてくれます。
感情表現が豊かになり、歩くことに積極的になり、コミュニケーションの力もずっとアップしました。きっとそれまでも、沢山語りかけてきたのでしょう。
でもそれを拾いきれない固い殻に包まれた私たちがいます。
彼等を取り巻く世界がもっと彼等にとって居心地の良いものになって行くこと。
これは人類の進化にとってもおそらく重大に大切なことなのだと思って記事にしました。

何層もの意識

前回の延長線上の話になる。
治療の都度、一番深く見えるものを目指して治療しているが、結果として毎回治療効果がかわるのは
なぜか。それは私が持っている意識の波長、患者さんの波長が体調や気分、天候を含め、回を重ねるごとに変化していることが上げられる。
物質としての人体は基本同じである為に、痛みや不快感などの物質体由来の治療結果は毎回安定して答えを導きだすことができる。でも、心理面から強く影響を受けている不調は意識状態に強く影響を受けるため、術者の出す気の性質というものによくよく注意しなければならない。
さらには、治療後の目覚めともいうべき気付きにいたっては(なぜ自分がこのようになったのか、もっとこうしたら良いというヒントを見つけるなど)、相手のエネルギーのどこに光を当てるかによって大分かわる。
そうやって、毎回毎回患者さんを見続け、気の動きを追いかけていると、まことに気というものは様々種類があり、深さがあり多層構造になっているものだと感じる。
深ければ良いという訳でもなく、そのヒトがどこに不調を抱えているかというのは浅いレベルにゆがみをもったエネルギーを背負っているときもあるし(そういう場合は周囲のヒトや環境に寄るものが多い)、椎骨のどこかに停滞したエネルギーを抱え込んでいる場合もあり(長年に渡る深い冷えは骨まで入る)、エネルギーの落ちた食べ物を食べたことで胃そのものがエネルギーの重い状態に停滞いている場合もある。
胸郭の緊張しきった呼吸の浅い患者さんには肋間筋のレベルで気を流して行くと動き出すし、下半身が重だるく浮腫んでいるような時には骨盤内の内臓系の気を良く動かしていくことが必要だ。
いずれも、まっさらな状態でよくよく気を追いかけて見ていると動いてないと思っていても気づいてないだけで全く新しいレベルで気が流れていることが多々ある。
気づかないということは恐ろしい。
自分が把握していないだけで、エネルギーは確実に作用しているのに無いことにしてしまう。
”動かない”という想念が動きを止めてしまう。
気が基本的に最も必要なところに流れて行く。
だからこそ、とらわれることなく大きい視点から気を追うことが大事であって、その気の動きに気づいて同調することがその流れをより大きく育むことになる。
気の流れていない場所は、使われていない場所、意識が入ってない場所であるだけに、あらたなレベルに気が入ると相手の意識レベルに確実に広がりが出る。
だから治療後は気持ちが大きく明るく、様々な気づきが得られるきっかけとなるのである。

見たいものを意思する

今日は治療にも普段の生活にもひいては人生にも大きく影響していることを。
鍼灸の仕事を始めて13年程になります。
積聚治療を専門にしてからは8年程でしょうか。
積聚は”意識の治療”です。
意識がどんな状態であるか、どんな意識を送るか、全てが影響します。
自分自身の状態をよく把握し、日々の治療にムラがないように、深い冷えを見極める集中力を、、、、自分に要求することはいくらでもあります。
でも、これらを台無しにしてしまうことがあります。
相手への信頼です。
治療で体に動いてもらうには、まず繋がりが必要です。
異質なものとして見ていてはつながりません。
自分が患者さん自身であるかのように同化することが大事です。
同化というと語弊があるかもしれませんが、治療者と患者さんは同じオーラの中にいるのです。

まずは自分の波長がどの程度の変化を起こせるかをよくよく観察します。
相手の冷えにどんな変化を及ぼしているかを、必ず変化がある前提で観察し続けるのです。
自分の存在が必ず相手に影響を与えているという意識の在り方は非常に重要です。
鍼を持っただけで、鍼先を相手に向けただけで、体は緊張したりします。
見えてなくても体は感じています。
治療者は何に向けて鍼をあてるのでしょう。
今日の主訴に向けて?体の根源の冷えに向けて?腹部の積に向けて?
どれでもよいのです。でも、浅すぎる意識は浅いところにとどまり、深い意識は骨や内臓をも動かします。
どうやって浅深見極めるのか。
それ以上行かないと思えば浅くなり、深いところまで行くと思えば深くなるのです。
そんなバカなとおもわれるかもしれませんが、これは全て実践に基づいて書いています。
浅くしか入らないと思っている時は、自分が呼吸を止めて、緊張させてわざわざ流れを止めています。深く入る時は、自分も一緒に相手の脊髄脳髄まで入り込む様な柔軟さでどこまでもついていきます。この場合の”自分”は治療者も患者さんもどちらでも置き換えることがありえます。
どちらがブロックをかけてもそれ以上は入れないものがあるのです。
深い共鳴が起きるとき、これは受けた人が一番わかるでしょう。
骨格が動き、内臓が持ち上がり、冷えが動くので汗が噴き出します。
治療で耕された体には深く深くエネルギーが入るようになるので、こうして根本的な冷えを動かして健康を常に維持することが可能になるのです。

いつもいつも、自分は今一番深いものを見ていると思ってやってきましたが、決してそうではありませんでした。でも、初心者には初心者の必死さが、純粋さが、迷いの無いエネルギーとなって回復させていたのだと思います。
今は、だんだんと段階を経て階段を降りて来た感がありますが、こんな時こそ、どこにむけて治療しているのか、という意識を明確にせねばならないのだと強く肝に銘じています。
さまざまなレベルを選択できるようになって来た今、目指すものは何なのか?
より早く、深く繋がるレベルとはどんな状態なのか?
細かいものに惑わされずに、本質に深く迫る意思が重要になってくるようです。
今日はほとんど自分に言い聞かせているような日記調となりましたが、”つながる”という面においてはテクニックは全く同じです。
コミュニケーションでも、息を止めて、力を入れていたら相手が入って来れず、何を見たいか意思することによって人間関係が変わります。

こんなやり方、ちょっと参考になれば。

冷房と暮らす

久方ぶりの投稿となってしまいました。楽しみにしてくださった方々には申し訳ありません。

今日は夏の間中気になっていた冷房が及ぼす影響についてちょっと書いてみようと思います。

いつも治療の際に説明している方は飛ばし読みしてくださいね!

後頭部の状態を気にするようになったのはいつからだったか、もう1、2年は経っていると思うのですが、しばしば治療で後頭部に鍼をあてているのを患者さん方はよくご存知と思います。

あれは外のエネルギーとチャクラを結ぶ中継点となっている松果体にむけて治療をしているのですが、松果体をどの程度使えているかは人によって差があります。

松果体に影響があるのは視覚でパソコン、スマホのブルーライトを取り込んでしまって熱がこもっている人、ストレスから硬直状態に陥っている人、頚の状態が悪くうまく松果体と繋がりをもてない人などがいます。

エネルギーの中継点ですからね、なってったって。そこを回しはじめるとうまくいけば脊柱に沿って骨盤まで緩んでパワフルに流れ出します。

治療の際は必ず後頭部から松果体のご機嫌伺いをたてるのが必須ともなっていますが、夏になって途端に多くなるのがこの後頭部の疲労なのです。

今までは冷房の冷えというのは足を温めるようにアドバイスしたり、肩に直接風があたらないようにとかありきたりの予防をするしかないと思っていたのですが、どうも違う。これは頭の疲労だと。

熱は心の代謝を高めるので、夏はとにかく疲弊します。冷房に入るのはそれを予防して体力を維持する上では役に立つのですが、頭に熱が集中するのはなぜなのか。

考えると、それはホメオスターシスとの拮抗があると思いあたりました。ヒトは自分が思っているよりも、もっと広く生きているようです。ヒトの周囲を取り巻くオーラという言葉は誰もが知っていると思いますが、オーラをもっと広げた様な感覚器官がヒトにはある様です。自分の五感を超えた知覚というものがあって、そこが常に外と自分自身をつなげています。その感覚をどの程度自覚するかには幅がありますが、体に反応が出ることをみると誰もに備わった感覚です。

要は涼しい家にいても会社にいても店にいても本当の暑さを体は常に感知しているということです。本来の暑さを感知しつつ体感温度が異なると体はそのギャップを常に感じ続けるというストレスが生じます。そのストレスが無意識の緊張を生み出し、後頭部の熱になっているのでしょう。

ここでは暑さをテーマにしていますが、体は気候だけではなく様々な目に見えないものを感知しています。職場の環境、周りにいる人々の気、感情、おそらくその情報量たるや膨大なものでしょう。そんな情報をもとに意識にのぼらない状態で体が微調整を常に行っています。

さて、冷房によって生じる熱を最小限にするにはどうすればよいでしょう。言うまでもなく外気温との差を最小限に留めることです。差が少ない程体のギャップが軽減します。また、外の風をわずかにでも常に取り込むように若干窓を開けておくのも一つの手です。たまってしまう熱については体を動かして汗をだして気を降ろす。ストレッチでも良いのです。お腹を冷やすことをしない。冷房の効いた部屋でスマホやテレビを見続けるなんてのは最も頭の熱を作り出す状況ですね。書いていて私自身も耳が痛いところですが。。。

冷房を使わない生活は先程も書いた通り、とにかく暑さの為に心の代謝が高まり疲労しがちになります。ただそれは心が弱くない限りは昼寝を取り入れたりして休息を増やし対処できるものです。老人はともかく、若い人で熱中症になりやすいのは、お腹が冷え普段から冷房の生活に慣れて頭に熱が既に籠っている状態の人です。夏は多少の負荷をかけて代謝の働きを鍛える面も必要です。熱中症の為の冷房というのが一般的ではありますが、冷房に浸りきることで生じている、熱中症予備軍も心しておいたほうがよさそうですね。

 

 

 

痛みがでるところ

今日はすこし現世的な内容に話を戻しましょう。
凝ったり重くなったり痛くなったりするのは鍼灸院に来る主訴の主なものです。これらは触れると固かったり、むくんでいたり、熱をもっていたり冷えていたりして健康な状態ではないのですが、なぜこうなるのか、という問題があります。
多くは無理をしすぎた使いすぎたと患者さんは思われていますが、大抵はその逆です。
使われていない場所が不調をきたすのです。
使われていないというのは意識が入ってきません。意識が入らないところはエネルギーが低下し血流が減り、動きもないところなのです。
意識が内に入りすぎる人は皮膚表面はむくんで循環が悪く、そもそも自分にそんな表層があることを忘れているくらいの状態でいます。
頭ばかり使う人は頭部の循環は盛んですが、首から下にエネルギーをもたらさない為に体感部の反応が鈍くなります。
腰が痛い人も腰を普段使わないから冷えて固くなるのです。
五十肩になる人は、胸のエネルギーをうまく使わずに滞りを作るので肩が冷えてしまうのです。
いや違う、という方はもちろんいらっしゃるでしょう。
おそらく使っているつもりでも違う場所が使われてしまっているかと思います。
体をどう使うかは意識の用い方を表します。
本来人間は360度の囚われのない自由な意志と感情を持っているはずですが、そこがネックになるのです。まんべんなく自由な意志の下に使われるべき体が感情的波やゆがみや偏った認識で縛られていたら、、、かならず体に出ます。
体と心は常に連動していますから。
そういう意味では病というものは意識の偏りの集大成みたいなものです。
いくら人間ドックに行って、食べ物に気をつかって生活していても、意識の偏りは病として教えてくれます。
だから学びなんですね。
偏りの無い人なんていませんからね。
かくいう私は偏りを治療していますが、治療家としてはやはり偏りの無い視点というものがとても大事になります。
人柄や性別、学歴、その他自分の中にありそうな偏見全てをまっさらにして望んで尚、治療に際しては自分の経験という先入観と常に対峙していないと見えるものも見えなくなってしまいます。
ゆがみのない円満な意識が円満な波動を作る。
これは治療者も患者さんも全く同じ原理です。

周波数の上がる先

前回の周波数=波動が形をつくるということに関連して私たちをとりまく高い周波数の働きについて少し触れてみます。
私たちは普段物質世界の周波数で生活していますが、その物質の周波数は低いものとされています、
治療院で行う治療は気を用いたものですが、その気はエーテル体といわれ、体の周りを取り囲み、内部にも物質である体のエネルギーとの変換作業をする場であるツボや経絡を、またチャクラとしてエネルギーステーションを持っています。
エーテル体はホログラムのように格子状に人体の内部を張り巡らされているといいますが、その接点がツボであったりするようです。ツボをつなぐ気の流れである経絡は神経とはちがう独自の流れを形成しているようで、経絡を切断するとその流れにつながる臓器に変化がでるなど、科学的に実証される存在のようです。エネルギー回路が物質の動きに影響を与えているという事実は、エネルギーが物質に常に先行している事実に基づきます。ファントムリーフを例にしてもわかるように、エネルギーの形が流れてその鋳型となり、その形に沿って実体が成長してゆくものです。こどもの成長もエネルギー体が先に整っていないと伸びていきません。また、切断した足があるように感じる幻肢痛などもこのような裏付けとなると思われます。
私たちを取り囲むエーテル体はより周波数の高いエネルギーとの調整役のようなことをしているようで、今わかっているだけでもエーテル体の上にはアストラル体(感情のエネルギーといわれる)、その上にはメンタル体(意識をつかさどり知性などとも関わる)があり、そのさらに上昇した場所にハイアーセルフといわれるコーザル体なるものが存在しているそうです。体から離れるほどに周波数は上がり、コーザル体に至っては物資の本質の裏に潜む真の原因を扱う世界のようです。メンタル体までは個人にかかわるエネルギー体であってもコーザル体はその枠を超えた共有された魂の世界に入り始めるようです。そのまた上には上があるのですが、今回はそれには触れません。
高次の世界から降りて来た情報は順次周波数レベルを落として物質体に届くまで転送されてきます。最後にエーテル体が入り込んでいる物質体に変換して伝え、無意識にでも意識にでも初めてそれを使うことが出来るというわけです。

私たちの多くはアイデアやひらめきを自分が発見したものだと思いがちですが、情報は外からやってきています。その情報に気づけるかどうかは意識化できるかが自分の力量となるわけです。
物質体である体を浄化する意味はそこにあります。情報を聞き取りやすくするチューニングのような作業です。薬や添加物がチューニングを狂わすことはいうまでもありません。
また感情体といわれるアストラル体の上にメンタル体という意識の座があることも大事なことです。
感情に寄ってエネルギーの乱れを起こしますが、それを統合できるのは意識なのです。意識の方向がどこを向いているかで、入ってくる情報をすでに私たちは選別していることになります。
うつの人は体がまったく開きません。情報が無く、選択肢がないわけです。
意識を高く広く持つ程に高次の自分とつながりやすくなり、さまざまな考え方や行動の選択をするようになるのです。それが自由であるということではないでしょうか。

治療をしていくということは簡単にいうとエーテル体の交通整理をしているわけですが、アストラル体、メンタル体とも大いに関わりがあります。おそらくはコーザル体ともとても関わっています。
治療をしているのは治療の時間だけではありません。回数をかさねれば重ねる程に、患者さんの高いものとも深く関わりが出来、さまざまなハプニング(笑)を起こします。
ハプニングと書くのは本当にハプニングだったりするからです。なんで、この人ばかりこういうことが起きるのか?と思うようなことも実はその状況が必要だからなのです。
ある人はヨガの導師を連れてきます。ある人は予約の時間をいつも私に忘れさせてぎょっとして目を覚まさせます。多くの人は治療前や治療中にその人に必要とされる種類のエネルギーを送って来ます。そしてある人は私に高次のレベルからのアドバイスを伝えようとさせます。
皆、やり方は実に様々ですが、無意識に高次のレベルで行っていることなのだと思います。高次の自分と言わなければ、守護霊みたいなものでしょうか。

交通整理に磨きがかかってくると患者さん自身もさまざまに変化してきます。やりたかったことを始める人がとても多くなります。自分の魂の声につながりやすくなるのでしょう。いえ、今の流れでいえば自分のメンタル体とつながって望んで来たことを知るということでしょうか。
それが、皆さんとても素敵なのです。生き生きしていて人生の使命を探し当てる様な宝探しをしているようです。そうなると意志と感情体が一致して動きだし、エーテル体はますます活性化します。

私は自分の治療をスピリチュアルな方向性でやりたいとはそんなに望んでないのですが、エネルギーレベルの治療に取り組む上では、どうしても向き合わざるを得ないものなのですね。今言っていることは間違いなくスピ話ですから。。。
でも、スピリチュアルに伸びる為にはどうしてもその反対側の能力も鍛えなくてはなりません。
では、その話はまた次にでも〜。

形霊

形の持つ意味、力、形を作るまでの生成過程とその働きかけるエネルギー、これらを追い求めていますが先日こんな本に出会いました。
ウオーターサウンドイメージ 
形は音によってつくられる。すなわち微細な振動=周波数によって作られるというものです。

ある一定の周波数をあたえると皿の上の砂が移動してある形態を作り出し、周波数が変わるごとにその形も変わる。中世で既に発見されており、大衆の前でバイオリンを演奏すると砂が幾何学模様を作り出し、音は物体を動かすことを証明した”クラドニの図形”として残されています。そこからスイスの科学者ハンスイエニーが理論を発展させ、音は物質に秩序を与え三次元的な形や周期性をもたらすことを証明。現代はそれをもっと安定した周波数を測りながら振動を送って周波数に対応した画像を手にいれることが出来、人体に応用する分野も発展してきているようです。

周波数で生まれる模様は、自然界に存在する生き物たちの模様パターンと同じで、ヒョウの模様の周波数、シマウマの模様の周波数、昆虫の体節のパターン、それぞれが異なる周波数を身にまとって生きているのです。水も同様で周波数で美しい形が次々に生まれる様子はまさに神秘。しかし、反対に歪んだ形を生み出す周波数もあり、物質は周波数によって形作られていることを目のあたりにします。
訳者の増川いづみさんはサウンドヒーリングの分野で活躍されていますが、そのあとがきによると古代から生きている三葉虫が意外にも7000ヘルツなどの超高周波だそうで、古代はもっと宇宙と密接で周波数の高いレベルにあった時代だったと偲ばれます。
ちなみに、周波数が低い程模様がシンプルで、山野草のような単純な形となり菊のような複雑な菊などは高周波となるそうです。人間がほっとしたり癒されたりする周波数は低周波だそうで、病の時にそばにあるのはシンプルな野の花のようなものが良いそうです。高周波は高いレベルの意識ですから神経やホルモン人の高次の意識に作用するようです。

この本の内容については語り尽くせないので、興味のある方は本を見て頂くとして。周波数が物質の形を作り出すというこのただ一点。これは常に周波数の影響を受けている人間にとっては大きな鍵となります。安定した円満な模様をつくる周波数をうけることが、体内の細胞や水に安定した形態をもたらし、体内の調和をもたらすということです。これは反対のことが言えます。低い周波数は体のバイブレーションが低下した時に同調しやすいそうで、人が生活で接する携帯や家電の周波数と関係してきてしまうそうです。最近では人体の組織器官が持つそれぞれの周波数が解明されてきたようで、サイマティクスセラピー(音響励振療法)に発展しています。

積聚治療も波動治療ですから人体を気の集合体として見る習慣を日頃から重ねています。始めは患者さんによって波動の違いが大きく、同じ気を流しても反応しない、個々にヒットする波動=周波数を見つけ出すことが治療の大前提となります。一人の体の中でも、波動は異なります。邪気の深さ、作られた原因によって悲しみの波動、怒りの波動、食滞の波動、違うエネルギーのアプローチをするのです。
ですので、治療の道具より、ツボの場所より、如何にどんなエネルギーを流すかが、治療の決定的な差をつけます。
こうしてみると治療は常に新たな形を作り出していると言えるのでしょう。
より高い周波数で円満な形態の波動を送り出すことで、歪んだ細胞レベルから修正し、体全体のゆがみやオーラを変えていく。そんな作業を皆さんとしているのですね。

 

 

てまひま

今日は手間ひまをかけるということについて。
てまひまかけること、女性は好きな人が多い。でも、意外とそれを無意識に排除してしまう女性もまた多い。なぜか?素朴な疑問を追求してみた。

世の中の流れが加速度的に早まっている。お笑いの世界の流行すたりをみてもわかるようにおばちゃんにはついていけない。。。と感じることがしばしば。その分、ものの質が軽くなっている感じはある。
早いものは総じて軽い、遅いもの程重い。
だから世の中、お手軽な感じが受けていて、なんでもクイックになりつつある。
手間ひまというのは時間をかけることでその一瞬を重くする。
速いものについていく軽さというのは、波動が高くて良い場合もあるがタダの塵芥の場合もある。
真に速くて軽いものに同調するには、回転する独楽のように軸がピッと立っていてグランデイングしていることが重要で、今起きている多くの事象はそんなことのない回転が上がれば溶けてなくなりそうな根っこのない浮遊物がほとんどである。
そんな速い流れにいちいち心を奪われていては、軸を持たない人には消耗の極みである。だから、しんどい人には今の流れにかき回されてさらにしんどくなるし、軸を持つ人はさらにグランデイングしてますます回転する力を大きくできる。
こんな時に軸を明確にしてグランデイングさせる手段の一つが、手間暇をかけることである。
手間ひまというのはエネルギーの錘を地上に降ろすようなイメージがある。一見無駄なことのように思えることだけども、一つ一つの行為に向き合う時間を大きくすることで、時間の質量があがる。同じ一分が違う一分になる。
集中していると、時間が随分経ったように思っても実はほんのちょっとだったりする、あの感覚。

今はなんでも如何に楽をするか、早く手軽にするかに価値をおかれがちで、本来手をかけてじっくりやるはずのことまでもが、なんだか逆転しつつある。
子育てにしてもしかり、料理にしてもしかり、味噌や醤油などの発酵食品もじっくり寝かさないで手軽にできる味噌がスーパーに並ぶ。
結果何が失われるかといえば、エネルギーである。何を食べても選んでも補われないということになる。手間を受け取れないからエネルギーが足りず、手間の掛け方がわからないからエネルギーの出し方が分からず、力が入らない出ない。お互いに手間を省くから循環しない。

一見無駄なところに手間ひまはある。こどもが作ってくれるご飯やみそ汁がなぜこんな美味しいのかというと、一生懸命作っているからに他ならない。娘に聞いてみると、出汁の鰹節が完全に沈むまでにらめっこしているらしい。お米はピカピカになるまで研ぐし、炊いている間も気を離さない。私には無理だ。。。とはいえ、無駄は大好きだ。何かする時の準備が一番楽しい。書道の墨をするとき、合気道のじっくりやる準備体操、子供達へのおやつ作り、、、一見やらなくて良さそうなことであるが、大事なことばかり。おそらく、出汁が沈むのを見ている娘には、その重大性はわかっていないだろうが、できれば何歳になっていても見ていてもらいたいものだ。

忙しい、時間がないというのは確かにそういう時もあるが、よくよく心を落ち着けてみると時間を自分が勝手に取りこぼしている事の方が多い。そう、手間ひまは時間を広げるのだから、時間を増やしたい時こそ手間ひまかけるのだ!
疲れているから、、というのは本当に休んだ方が良い時はめったになく、大抵別のことをやれば疲れが取れたりする。要は工夫すれば流れが変わるのに、いつまでも同じところにしがみついているから疲れが取れない状態になる。疲れている時こそ、手間ひまをおすすめしたい。

回転数の上がる今だからこそ、時間を自分のものに取り戻したい。流れを見極めたい。
だから、自分が手にするものには気をこめて。大事に大事に、丁寧に丁寧に、向き合う。
ずっとそうしてはいられないけど、出会った時だけはそうしたい。
てまひまは、無条件の愛なんだと思う。

治り方について

先月11月は治療院最多来院数を記録したとても忙しい月となりました。
これもひとえに患者さまのお陰です。有り難いことです。
この治療院は初診が極端に少ないのですが、それでも11月は初診の方を診る機会も何度かありました。初診の方との治療では決まって登場するのが「どれくらいのペースで通えば良いですか?」という質問です。大体決まった答えになりますが、個人の治り方については千差万別、今回はそれについて書いてみました。
一回の治療でどこまで治るか?これは初診の方が特に知りたいところだと重々承知しております。
しかし、これほどに体の力が語るものはありません。
千差万別、体がこの皮膚刺激を主とした治療法をどこまで察知し、その刺激を取り込んで動いてくれるか。個々の反応は全く違うのです。
治る上で大きく影響がある条件を挙げてみました。

1 まず、皮膚がどれほど感度が高く反応が良い状態かが影響します。悪い人程感度が鈍り、何をやっているか体に伝わりにくくなります。皮膚反応を鈍くさせるものは、これまで見て来た中では薬が一番でしょう。皮膚反応が悪いということは脳との伝達が鈍いということです。薬は痛み止めやホルモン剤など中枢に作用するので逆に中枢の混乱がある為に感度が下がるのかなという気もしています。他には添加物を含んだ食品、肉なども薬に似た作用を起こします。

2 治療中の意識がどこに向いているか。体が素直に動ける状態であることが必要です。仕事が忙しくて治療中もそのことが頭から離れない人、怒っていたり感動したりして意識が別のところに飛んでいる人、思い込みや意識が固くてからだと自由に連携が取れない人。これは治療回数を重ねてもたまに遭遇するパターンです。

3 気の通り道が出来ている人。これは生まれ持った性格や育った環境があります。日本人の場合年代が上になればなるほど、体の基礎がしっかりしており、どんなに体が衰えていても脈々とした太い気の通り道があるので意外と思われるでしょうが、お年寄りの方が回復する力は若者と比較してずっと盛んです。
年齢に関係なくもともと敏感な人はいます。こういう人は小さい頃から様々な気の影響を受けやすいため(親の想念や学校のストレスなど)小さい頃は虚弱だったりもします。
しかし、ただ敏感で邪を出す為に症状を出しているので、症状が多い=体が悪いとは限らないのです。

症状の話ついでに、症状は自分をもとに戻そうとする動きですので、自分のコントロールが上手な人が症状を出すとも考えられます。
自分軸を右に揺れたら左に戻し、左に揺れたら右に戻し、と無意識のハンドル操作が可能な自由を自分に与えているのです。
自分は元気と思って自信満々の人程心配になります。
多くは思考も同様で、他者につけいる隙を与えず、高い緊張状態を維持して生活しているパターンが見受けられるからです。その場合は無意識の働く余地がありません。
元気と思っていれば、ちょっとした症状で病院の薬にも簡単に手を出します。
薬の解毒が自分には出来ると思っているからです。
症状を見ないようにする為に、症状は表に出てこれず、気づいた時には根の深い病となります。

風邪をたまには引けるくらいの心と生活のゆとりがあり、怒れば腰が痛くなったり、ショックをうければ寝違えをする、そんな認識は当たり前につながる社会であるとよいのですが。

そんなわけで、つながりを感じて感度を高くして生活していることが大切です。
自分の心と体に合うこと合わないこと、柔軟性を獲得すると様々な体の”目”が養われてきます。
我が儘な気もするでしょうが、与えてばかりは生きられないし、もらってばかりでも生きられない。
気も同様に自分軸を中心として吸収、発散をしながら皮膚を鍛えているのです。